オカルトと霊感そして謎の鳴釜

最近、昔の事を色々とよく思い出すようになった。

理由はおそらく、SNSで昔の友達と交流している事が大きいのと、このワードプレスでブログをはじめてからなんだよね。

そして、更に思い出すきっかけとなった事が、

お店の引っ越し。

神棚やお祀りしている神仏の移動で見つかったものや、昔の本棚にあった古い書物、祖父祖母が残していた日記や資料を目にすることで、普段忘れていた記憶がよみがえってきたんだ。

僕の家は、神仏関連の本やモノにあふれていた。

吹田の店も東大阪の店も

お仏壇屋さんやから当たり前やん、っていうかもしれないけど

販売する仏壇や仏具のアイテムのはなしではなく、

それとは関係のない、宗教の本、

まず、仏教系から神道系または新興宗教系の本やらその団体が発行しているモノまで

どこで、手に入れたん?

っていうぐらいの本があって、

また、祈祷関連、山伏関連の本、例えば、まじない護符辞典や大峰山修行呪法の本etc

これは、祖母関連だろうけど、易関連、姓名判断、八卦、九星方位気学、顔相、手相、家相etc

これらの関連本があらゆる角度や流派によって解釈されたものが、今考えたら偏りなくかなりの冊数が蔵書されていたように思う。

キリスト教、イスラム教、ユダヤ教関連のものも少しあった。

あと、仏教各宗派の名僧が生前どこかでお話された生録音の説教集がたくさんあって、新興宗教教祖の説教が入っているカセットテープも何十本かあった。

こういった本を子供の時は難しかったので、全部読むのはしんどかったけど、面白そうな本はパラ読みしていた。

それだけじゃなくってね、

山伏の人、拝み屋、霊感を持っている僧侶、霊媒師、新興宗教系の教祖の人とかが結構出入りしていた加減で、何か不思議な空気感を多分、感じることができたと思うんだ。特に東大阪の店に来ていたかな。

何故か祖父が亡くなった後、減ったけどね。

子供ながらになんか嘘くさいなっていう人もいたね。

そんな人は、うちの祖母にやり込められていたと思う。うちのおばあさん、口悪かったからね~。(ーー;)

一方、僕はというと、

基本、幼少期から青年期までは、オカルト少年(勿論、映画少年でもあったけどね。)で、心霊写真集みたいなものを個人的に集めていて怖がりながら、楽しんでいたよ。小学校時代に家に遊びに来た人は読んでくれた人も多かったんじゃないかと思う。

心霊写真を見ても、友達には、平静を装っていたけど

実は、

心霊写真集。マジで怖かったんだよね~。

恨みを残した人の地縛霊だ

とか

何かを訴えかけて苦しみの表情をしてた

というような解説があって。

恐ろしい感じで映っている写真と合わせてその説明を読んで

震えあがってね。

夜、思い出して寝られない様になったり、

金縛りにあった時なんかに思い出して、

何とも言えない恐怖感を覚えたものだ...。

※心霊写真集(中岡俊哉著)テレビでも特集を良くやっていたね。ほぼ、全巻持っていたよ。恐怖の心霊写真集

思い出すのが、友達何人かと近所のお寺のお墓にわざわざ心霊写真を撮りに行ってね、そこのお寺のご住職に見つかって、こっぴどく怒られたことがあった。

馬鹿だからそんなことをスリルを感じて面白がってたんだ。

自分は名前と住所言ったら、仏壇屋の息子かってバレてね

後に親も怒られてた…。

でも、家庭不和をおこして好き勝手にして死んだ父親やけど、こういうことに関しては、いつも、怒らんかった。

その代わりに、

その時は、霊的な内容が書かれた本を、何冊か本棚から抜粋してくれて

「それ、読んどき」

「それと、霊がおるかどうかは別として、人の家のお墓を勝手に写真撮るっていうことは、お前の部屋のぞかれて、下着姿でくつろいでる所を激写されんのんと同じやで~」

って、笑ってくれたな。

素直に納得して

「もう、せんとこ」

って思ったな。

そんな所は、感謝している。

今は懐かしい思い出。

現在では、そういった方面にいろいろ研鑽を積んだおかげで、

霊に対する考え方も変わり、

金縛りになった時の脱出法も身に着け、

今では、あまり興味もなく、必要以上に怖がることもなくなった。
(今は心霊動画が流行っているみたいやね。そんなんも大体、PCで加工できちゃうけどね。)

でも、霊的な事はあるって思っている。

長くなるので、書かないけど、

仏教的な解釈でわかることがあるのと

感じることがあるからなんだよね。

瞑想を初めて15年ぐらいになるけど、それも大きいね。(仏教をベースとした瞑想だよ。ちゃんと師について教わりながらやっている。)

神社とかお寺に良くいくけど、肩が重くなったり、必要以上にしんどくなったりすることが稀にある。

本来そう言った場所って浄化された場所の様に思うやろうけど

時と場合、

又は

かつては浄化された場所だったものが

あらゆる要因でダメになっている場合もある。

ちょっと、わかるんだ。

これは、自分が昔から持っている片頭痛との関連もある。

お天気が変わって、気圧の変化が起こるときには、脳圧の加減などと体の巡り合わせで頭痛が起こっていることがわかるのだけど

自分の場合はそれだけの原因だけじゃないときもおこってね

非常に辛いときがあった。

それは、いわゆるシックスセンス(第六感)で何かを感応した時なんだ。

と思う。僕は。

沢山あるから、書かないけど。いろんなパターンがあるんだよ。

場所、人の問題をきっかけとしてね。

それがね、瞑想を初めて何年かして緩和できるようになり

ある程度、コントロールできるようになったんだ。

でも、何をしてもダメな時は、原因は自然のパワーだ。非常に大きい気圧の変化の時には、防げないときはある。そんな時は薬飲んで静かにしてる。

なにより、自然恐るべしだ。

あと、これまでの人生で、他人にまつわるプライベートな事もあるからブログでは書きにくいけど、色々不思議なことが周りでたくさんあって、ある意味、今生きているのは、神仏や見えないものに守られてきたんだなと思うね。

ここで、亡くなった母親の事を思い出す

全く違う環境に嫁いできた母親は、実家は高級オーダーメードの洋服屋さんで、最初はほとんど、こんな知識もなかったろうし、おそらく、何かを感じるようでもなかったと思うんだ。

でも、自分が小学生低学年あたりの頃より、何人かの自分の同級生のお母さんから心霊的な悩み、霊を見てしまうとか、取りつかれているのではとかの内容で相談を受けていたことがあった。夜、何回か付き添いで行ったことがあって、話の内容が聞こえるのでなんとなくわかった。

子供ながらに怖いことがあるんだなって思ったから。

それよりも、何もわからない母親がおそらく父や祖母に聞きながらそういった相談に頑張ってのっていた事は、今、思えば心が痛く感じるんだ...。

頑張ってたんだなぁって思う。

最後に自分の事でどうしても、わからない事がある。

幼稚園から小学校一年生ぐらいまで

吹田の実家に、月一回ぐらいの頻度で神主さんっぽい格好で

でっかい白木の釜を持ってきてね

またその釜がちょっと熱くて、上の方は勢いよく蒸気が出ていたように思う。

それを、僕の腰にあてるんだ。

そして、祝詞?みたいなものをあげて帰られるんだけど。

同じような事していた人いない?

未だにあれがどういった意味だったかわからないんだ。(゚Д゚;)

夢ではないよ!

これかなって思うけど、何故、家に来てまで、

鳴釜神事

僕の背中にのっけられていたのか...。

謎だ。

当事者で知っているものは皆、鬼籍に入っているからわからないんだ。

こんな時期に背中に煙の吹いた釜乗せられててん。(^_^;)


しかし、前髪パッツンやな…。

ある所で座敷童に間違えられたこともあったねぇ…。(笑)

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