信仰と祈りについて

稲田法輪堂では、心から落ち着いたと思っていただける安心をお届けしています。

アンバランスな信仰のあり方がもったいない

今回は店主がちょっと普段思っている事を
個人的な意見も入れてお話させていただきます。

神社仏閣を参詣される方は、老若男女問わず大盛況です。

神社でもお寺でも、お祀りされている神仏に手を合わせて
願いを祈り、自身も癒され、時には力をもらったりしています。

私も同じ思いで参詣する事もありますし、
元気を頂いたりすることも少なくありません。

宗教離れという言葉

でも、最近の傾向として
お家に中の信仰が縮小されていて、
ともすれば、邪魔であるかのような扱いになっています。

お仏壇にしても、神棚にしても
「宗教離れ」ってよく言いますけど、
これは、言葉が悪いんだと思います。

神社仏閣に詣でるのも
宗教です。

でも、多くの人が、
お家で祈るご先祖様や
亡き方のご供養のために
神仏をお祀りすることがなんだか、

所謂、上記の間違った、
宗教離れの宗教という感じなっています。

ともすれば、めんどくさい、邪魔なもの
または、気持ち悪いものとして考える。

外の神社仏閣には行くのに。
非常にもったいないと思うんですね、

身近に祈りの空間をもってこそ、
外での祈りや頂いてきた力が発揮できるというものです。

有名な神社仏閣のルーツ

例えば、
有名な神社仏閣のルーツは、

時の権力者のご先祖様であったり、
個人の霊を鎮めるものであったり、
(※例えば、全国の天神さんは菅原道真公の霊を鎮めるための場所です。)

自分の父や母または、ご先祖様の
安寧を祈るためにお寺を建立したりしたものです。

大仏などを祀る大きな寺院は
国家自体の安泰を祈るもの。

国家=その住む多くの人
人々を仏に守っていただくという考え方。

そう考えると、
はっきり言って、神社やお寺は
ご自分のお家の神棚やお仏壇と一緒なんです。

例えば、
徳川家はその菩提寺を増上寺としましたが

江戸城内には、ちゃんとご先祖様をお祀りする
大きい仏壇があり
本尊阿弥陀如来が鎮座されていました。

戦国武将、茶道、華道そして世界

戦国時代においても
各武将のほとんどは、自分自身の信仰を
大切にしていたというエピソードがあります。

茶道も華道も仏教から生まれたもの。

仏教の供養や祈りの精神が理解できなかったら
形だけでは、千利休や池坊専慶の足元にも近づけないでしょう。

もう一回言いますけど
本当にもったいないと思います。

お家に場所が無くてもいいんです。
基本さえわかっていれば。
特に仏教の祈りのあり方が。

位牌や写真だけをお飾りしていることは、

簡単に言えば
亡き人の供養の場所はありますが
ご本尊様がおられないんです。

これは、残念ながら、何にもなってないです。

世界的に見ても
弔いに必要なものとして 

人知を超える神や精霊に対する
畏敬の念や信仰があり、

安らかに無き人々がそれぞれの
パラダイスや安寧の地に導かれている
という考え方がほとんどです。

自分は自分の身内だけにしか祈らない
なんていう人が増えちゃった国って
今の所、日本だけな感じがしますね。

あるとしても、ごく少数でしょう。
コンビニの数よりもお寺の数が多い
と言われている日本なのに残念な事です。

いろいろ言いましたが、
難しい事ではありませんので、

もし、個人だけの遺影や位牌のみでご供養されておられるなら
この機会にちゃんとしたご供養や信仰ができる場所を
お家で作ってみませんか?

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それぞれのお家に応じた提案、お答えをさせていただきます。

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