【京都】清水寺 田村堂と阿弖流為の石碑 レポート

【京都】清水寺 田村堂と阿弖流為の石碑 レポート

この夏にしたかったこと1位
“清水寺の田村堂と阿弖流為の石碑の位置を見てみたい!”

清水寺に来ました。

【音羽山 清水寺】
音羽山清水寺は、
“賢心”(後の延鎮上人)によって開創。
“賢心”は夢にしたがい
音羽山麓にある滝にたどり着き永年練行をしている”行叡居士”と出会う。
“賢心”は”行叡居士”より授けられた霊木で千手観音を刻んで草庵と観音霊地の山を守る。
その音羽山に”坂上田村麻呂”が
鹿を求め音羽山に上がってこられ”賢心”と出会う。
観音霊地での殺生を戒められ、観世音菩薩の教えを諭される。
“坂上田村麻呂”は、深く仏法に帰依し
自らの邸宅を仏殿に寄進し、金色の十一面千手観世音菩薩を御本尊と脇侍の地蔵菩薩・毘沙門天像を造って本堂に安置した。
西国三十三所観音霊場第16番札所。

 

随求堂 胎内めぐり

まずは、
清水寺随求堂の胎内めぐり。
実は2回目。

右手に靴を入れた袋。
左手は手すり。

しっかりと!

ん!?私が先頭か!?大丈夫か?
よし、行こう。

本尊 大随求菩薩の胎内

大随求菩薩は、大悲のお母さん仏(大悲母)。

本当に真っ暗!
目をつぶっても開いても一緒。何も見えない。

手すりは、ふつうの手すりだったり、
大きな数珠の珠が続いたり。

頼むぞ、左手~!
お香の心地よい香り~。

足元が下に下っていくように思えるけれど、
実際は下りはしなかったと思う、たぶん。

しかし、
方向は何度か曲がる!

「曲がるよ~」と後ろに知らせる。
(余計だっただろうか?いや家族いたからね。)

みんな、わー、キャー言いながら前に進んでくる。

あっ。
ふんわりと灯りが!

ここが真ん中。
随求石(だったかな)に触れながらお願いごとを1つだけ。

あとは外に向かって。
あっという間。

しっかりお願いごとできたから、良し♪

田村堂(開山堂)

坂上田村麻呂

坂上田村麻呂は、
清水寺 開創の”賢心”(後の延鎮上人)に
観世音菩薩の教えをうけ仏法に帰依し
自らの邸宅を仏殿に寄進した清水寺。

阿弖流為

阿弖流為は、
平安時代初期の蝦夷の軍事指導者。

桓武天皇により
征夷大将軍に任じられた坂上田村麻呂。
阿弖流為と母礼ら降伏。

戦った敵同士が
気持ちが通じ合い親交を深まった
坂上田村麻呂と阿弖流為。

田村麻呂は、
彼らの助命を嘆願したが、

京の貴族は反対し、2人を処刑。

南部風鈴

風鈴が飾られていて、
風が吹くといっせいにいい音が鳴る。

この風鈴。南部風鈴。

岩手… !?
アテルイ!!

田村堂で岩手の風鈴が飾られている。
ん…ぐぅ…胸にきますね…
いやいや目的に行きましょう。

周辺を見ても石碑が見当たらないので
轟門(中門)を通り本堂へ。

轟 門

拝 殿

音羽の滝を通って歩いていくと
やって来ました 阿弖流為・母礼の石碑。

阿弖流為・母礼の石碑

 

東北の桜

左には、みちのく桜。
右には、岩手のしだれざくら。

京都・清水寺には、
戦った敵同士ではあるが

気持ちが通じ合い親交を深まった
【阿弖流為と母礼の石碑】と、
【坂上田村麻呂のお堂】が
向かい合って建っている。

石碑から田村堂は?

石碑の裏側にきて見上げると、

轟門(中門)が見え
むかって左側に田村堂がこちらを正面にして建っている。

田村堂と、阿弖流為の石碑は
向かい合って建っていたのでした。

清水寺が建立された日

蛇足ですが、
清水寺に行ったこの日は
一説によると清水寺が建立された日だったとか。
向かい合っている。
しかしそこには戦いがあり、処刑があった。

2人のその当時の想いはどうだったのか
今のこの光景はどのように見えるのかなど

考えると胸が痛くなります。

でも
2人を向かい合わせに建て
岩手のもので飾る現代に生きる人がいる。

その双方の想いをつなごうとする方々によって今の形があるのかと感じました。

ここから見えてくるものがたくさんあるように思うのです。
実際に目にすることができてよかった。本当によかった。

清水寺は、観音霊場

田村麻呂は殺生を戒められ、観世音菩薩の教えを諭され深く仏法に帰依した。
しかし征夷大将軍となり戦ったが、親交を深めた阿弖流為は処刑となった。
その2人が観音霊場清水寺に今このようにある。

KIYOMIZUDERA Temple

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仏壇屋「稲田法輪堂」。仏具・密教法具のネット販売「法輪堂ドットコム」。プロフィール写真は店主。拝観日記はヨメが書いております。