【和歌山】粉河寺 レポート

ご本尊は絶対秘仏であり、裏観音様は京都国立博物館の特別展に。お留守と知りつつ、いや特別展で見せていただいたからこそ気になったのか、その粉河寺に行きたくなったのでした。
粉河寺
粉河観音宗総本山
本尊 「千手千眼観世音菩薩」
西国三十三所 第三番
厄除観音
風猛山と号し、
正式には補陀落山施音寺。
国宝「粉河寺縁起」によれば、770年(宝亀1)、猟師の大伴孔子古の創建。大伴孔子古が殺生を悔いて発願して一宇を建立し、このとき童男行者があらわれ、金色の千手観音像を刻んだという。993年(正暦4)、花山法皇の勅命で寺域が定められ、七宝伽藍を誇った。豊臣秀吉の紀州攻めの兵火で焼失したが、1720年(享保5)、御池坊寂隠が本堂を再建した。
江戸時代に建てられた大門・中門・本堂・千手堂が重要文化財に指定されている。
粉河寺 御詠歌
父母の恵みも深き粉河寺
仏の誓いたのもしの身や
大門
重要文化財 江戸時代
不動堂
弘法大師爪彫の不動尊を安置す
大門を入って中門まで、道の左側に建物が並んでいます。右側は川。
童男堂
和歌山県指定文化財 江戸時代
延宝七年(1679)の建立。
粉河寺本尊千手観音の化身、童男大士(童男行者)を祀る。例年十二月十八日、一年一度の開帳法要が営まれる。寺伝では徳川第八代将軍吉宗の寄進、彫刻は左甚五郎と伝える。
創建にゆかりの千手観音の化身である童男行者。
この場所近くに“野荒しの虎”の案内看板が。
「本堂内陣とはまだ距離があるのに…」と不思議に思っていたのですが、こちらで祀られている彫刻との繋がりがあったのでした。
出現池
本尊千手観音の化身 童男大士(童男行者ともいう)が柳の枝を手に白馬に乗ってこの池より出現したと伝えられる。
右 馬蹄石(窓のすぐ下)
正面 童男大士石像
左 三角堂(千手観音安置)童男大士は現世利益の佛として殊に病気平癒の霊験あらたかにして、祈願成就すれば、この池に鯉の放生をする風習がある。
格子越しに出現池のようすを見せていただけました。
仏足石
童男堂の前に、和歌山県で唯一の仏足石(ぶっそくいし)。
お釈迦さんの足跡がきざまれている
紋様は千輪相をあらわしその
大きさは人徳の偉大さを象徴している
うしろの碑は江戸時代の傑僧願海上人の筆である
念佛堂
光明殿ともいう
阿弥陀如来を安置す
江戸時代後期の建立
総欅造り
太子堂
聖徳太子をまつる
太子は「争いをやめて和の精神を尊ぶ」「佛教を篤く敬う」等の十七条の憲法を定めて、政治をあらため又建築、彫刻、絵画などの技術の向上にもつくされた。
中門
重要文化財 江戸時代
天保3年(1832)の建立で四天王を祀る。
「風猛山」の扁額は、紀州徳川十代藩主、治宝侯(はるとみこう)の直筆
四天王像
この場所に来るまでいろいろ釘づけになるポイントがありましたが、“この中門にこんな四天王像”で“ここから絶対秘仏のご本尊の場所だ”ということに身が引き締まるようでした。
本堂
粉河寺に着いた時は、すごい雷雨でした。
重要文化財 江戸時代
西国札所の観音堂のなかでも最大の高さ33mもの建築。
奈良時代宝亀元年(770)の創立で現在のものは享保5(1720)年に再建された江戸時代中期の寺院建築の代表的建造物であり、西国第三番札所である。西国札所の中では最も大きいといわれ内陣の厨子の内深くに秘仏の本尊千手千眼観世音菩薩が祀られている。
本尊の両側には侍者として二十八部衆、内陣の背面には裏観音、東には鬼子母神、西に不動明王、大日如来、閻魔大王、その他諸尊が祀られている。
なぜか二十八部衆像があるお堂って嬉しい気分になる。
本尊
本尊「千手千眼観世音菩薩」は秘仏。
お前立ち像も秘仏。
左甚五郎 作「野荒らしの虎」
本堂内陣にて
夜な夜な抜け出て田畑を荒らしたので
眼に釘が打たれている
本堂に入ると、正面に二十八部衆が目に入り、ぐるりと内陣をすすんで行き拝ませていただいていると、ふと目線をあげた場所にこちらを見ている「野荒らしの虎」が。思ったよりも大きくて迫力ありました。本堂を入って二十八部衆や羅漢像や香象たくさんのお姿もあり満たされていたので、虎の存在をすっかり忘れていたので、突然現れた虎の存在に喝を入れられたかのような衝撃。見落とさなくてよかった。
粉河寺庭園
本堂前の庭園
国指定名勝
巨石を配した庭園は、桃山時代に築かれた枯山水で国の名勝。巨大な石組みとサツキ・ソテツで構成された庭園。
六角堂
享保五年(1720)建立
西国三十三観音を安置す
湯浅櫻
紀州湯浅の住人藤原宗永が粉河寺ご本尊千手観音のおつげによって本堂の巽(東南)の方に植えたもの
千手堂
重要文化財 江戸時代
宝形造りの三間堂、細部様式では本堂と一脈相通ずる面を持っている。
宝暦十年(1760)の建立。正面に千手観世音菩薩、両側の脇壇には紀州歴代藩主とそのゆかりの人々の位牌を祀っている。
丈六堂
丈六(一丈六尺の略)阿弥陀如来を安置
粉河寺では雷雨の中で、早足で境内をまわらせていただきましたが、実際にお寺の空気を感じられたこと記憶にクッキリ覚えこんで帰ってきました。
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