2016年
奈良県吉野郡の吉野山に建つ金峯山寺修験本宗総本山。
寺伝によれば、金峯山山頂すなわち山上ヶ岳で、役行者(役小角)が蔵王権現を感得した7世紀後半を開創期とする。戦後の1948年(昭和23)に大峯修験宗を立宗、4年後に金峯山修験本宗と改称した。
奈良・吉野に行こうとみていると、“金峯山寺”の秘仏のご本尊・金剛蔵王権現のご開帳となっていましたので金峯山寺へと向かいました。
吉野山
吉野の“桜”は下千本、中千本、上千本、奥千本としたから順に咲いていく。上千本から下千本を望むとき、桜の雲の中に吉野山のシンボル蔵王堂が遠くかすんでみえる。
黒 門
こういう様式の門を「高麗門」といい城郭によく用いられます。昔は公家大名といえどもこの門からは、槍を伏せ馬をおりて通行したという格式を誇っていました。“金峯山”というのは吉野山から大峯山に至る峰続きを指し、修験道関係の寺院搭頭が軒を連ねていました。それらの総門がこの黒門だったのです。
銅の鳥居(重文)
弥陀の浄土に入るぞうれしき
吉野山から大峯山(山上ヶ岳)までには、この「発心門」をいれて、“修行”、“等覚”、“妙覚”という悟りへの道程を示す4つの門がある。
仁王門(国宝)
蔵王堂(国宝)
7世紀に役行者が創設し、奈良時代に行基が改修したという伝説もある。格天井を突き抜ける内陣の巨大な厨子。中には7mを超える本尊の蔵王権現が祀られている。巨大な蔵王権現像3体は、役行者が感得したという蔵王権現のイメージそのまま。もう一体 安禅寺の本尊だった蔵王権現。聖徳太子像。童子立像。
“日本最大の秘仏”だそうです。
ご開帳は、
平成28年11月19日〜12月11日
蔵王堂の入り口から
蔵王堂で
ご本尊3体を拝み、違う建物に進みます。
順路を進み
奥の建物でご法話を聴かせて頂けました。
そちらのお部屋にはとても美しい仏像がまつられていました。左から“弥勒菩薩”・“釈迦如来”・“千手観音菩薩”。隣のお部屋に“役行者”。
ご法話
「人はこのような柔和なお姿で現れても聞こうとしないので、あのような恐ろしいお顔で現れる」というようなお話でした。ご本尊を見上げた後に、あのような美しい像を前にしながらご法話を聞いただけにお話が心にしみました。
「本地仏」とは、本来の仏の姿。
ご法話でもうひとつ。
蔵王堂にて
そして、ご法話の部屋から再び蔵王堂へ戻り、
ぐるりとご本尊の後ろ側からまわり
発露の間に入ると
ご本尊をとても近い場所で拝見させて頂けました。
発露の間
観音堂
愛染堂
威徳天満宮
南朝妙法殿 吉野皇居址
当時足利幕府と北朝に対抗する南朝方の拠点として、後醍醐天皇の御座所となっていました。
仏舎利宝殿
修験道の御開祖役行者は、釈迦牟尼如来の応現身「金剛蔵王大権現」を金峯山上で御感得。
金剛蔵王大権現御出現の地 山上ヶ岳の湧出岩で採った聖火と、比叡山延暦寺より奉迎した不滅の法燈を御宝前にかかげて「仏舎利不滅の法燈」として釈尊の遺法を伝える。
蔵王堂から龍王院に行くまでの途中
紅葉の落ち葉が花のようにきれいでした。
蔵王堂から龍王院まで石段を下っていきます。
脳天大神 龍王院
年表
年表の中よりピックアップ
- 豊臣秀吉が、豊臣秀次・徳川家康・前田利家・伊達政宗らを引き連れ、吉野で大花見をする。
- 神仏分離政策により、蔵王堂などが強制的に神社に改められる。
- 蔵王堂が仏堂に復帰する。
帰り道、お店で串にささった安倍川餅とカップに入った葛もちがありました。
奈良県 金峯山修験本宗 総本山 金峯山寺ウェブサイト。国宝・世界遺産の仁王門、蔵王堂の他、日本最大秘仏である金剛蔵王大権…
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特別公開 金峯山寺仁王門 金剛力士立像―奈良・金峯山寺所蔵― 令和3年(2021)2月23日 (火)~仁王門修理完了まで(令和10年度予定)なら仏像館 なら仏像館にて金峯山寺仁王門の“金剛力士立像”が特別公開されている[…]
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