2020年
建保2年(1214)
栄西禅師によって創建された禅宗寺院。
鎌倉時代後期の
典型的な禅宗様式の建築の釈迦堂は、
国宝に指定されています。
国宝善福院釈迦堂
建保二年(1214)、僧栄西が紀州を訪ねこの地に寺を建て宝遊山広福禅寺と名付けた。戦国時代に領主・加茂左近の菩提寺となって釈迦堂を本堂として、梅田寺、了東院、吉祥院、観音院、善福院などの多数の塔頭が立ち並び禅宗寺院の景観を呈していた。
同寺は、もとは禅宗で天正のはじめ真言に転宗、高野山の援護のもとに、文禄二年(1594)に伽藍堂舎の修復、子院の整備が行われ、寛文年間に、天海僧正の法孫憲海僧正の支配下になるに及んで現在の天台宗に変わった。明治四十四年に解体修理をうけて、ほぼ建立当時の姿に復原されたものである。
釈迦堂は、桁行三間・梁間三間、もこし付きで、寄棟造り、本瓦葺、禅宗様式の仏殿で嘉暦二年(一三二七)の建立と考えられている。正面の中央三間には、桟唐戸を入れ、内陣の正面後方に高い須弥壇を設け内部空間を造りだしている。現在の禅宗様建築に較べて、この建物は木割が大きく雄大な気風があります。
広福禅寺
瓦に、“廣福禅寺”の文字。
現在「善福院」と呼ばれていますが、もともとこの地に“広福禅寺”というお寺があり本尊のお釈迦様は、広福禅寺の本尊、釈迦堂は広福禅寺の本堂に当たります。
広福禅寺は、善福院縁起によると1214年、日本に禅宗を伝え広められた“栄西禅師”によって建てられたと伝えられます。
善福院釈迦堂
嘉暦2年(1327年)に建てられた禅宗様式の仏殿で、国宝に指定されています。
禅宗様式の建物では、山口県下関市の功山寺仏殿に次いで、全国で2番目に古い建物です。
善福院釈迦堂の建立年
- 本尊胎内に「嘉暦二年修理安置ス」の墨書
- 橿原考古学研究所の年輪による年代鑑定の結果 1200年代
善福院がほかの禅宗様式の仏殿とちがい
- 中国の禅宗様式の古い建物と似ている
- 日本に禅宗様式が定着する以前の中国直系に近い建物
仏像
釈迦如来座像 (県指定文化財)
平安時代末期の作
鎌倉時代の修理銘がある
木造僧形座像 (県指定文化財)
釈迦堂を拝ませていただく機会に恵まれました。
須弥壇は高く、ご本尊釈迦如来像のほかもまつられ、見上げて拝むと高く組まれた天井も見えてずしっと落ち着いた感じになりました。横にも繊細な彫りの不動明王二童子像などがまつられていました。
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