聖徳太子誕生の地の寺 橘寺に行って来ました。
橘寺
厩戸皇子(聖徳太子)生誕の地とされ、皇子建立の七ヶ寺の一つ。
この地は太子の出生地で、太子ゆかりの多くの宝物を蔵していた。
平安時代の『南都七大寺巡礼記』には、橘寺に金堂・講堂・五重塔などがあったと記され、発掘調査により東西に軸線をもち、中門・塔・金堂・講堂が一直線に並ぶ四天王寺式の大伽藍跡が確認された。
昔は法相宗であったが、江戸中期より天台宗。
護摩堂
本堂(太子殿)
【太子殿】
本尊 聖徳太子坐像(重文)。
【橘】・【田道間守(たじまもり)】
日本書紀によると、十一代垂仁天皇の時、勅命を受けてトコヨの国(中国雲南省か)へ不老長寿の薬を求めに行った田道間守が、十年の長い間苦労してようやく秘薬を探し求め、持ち帰ったところ、天皇はすでにお亡くなりになっていた。このとき彼が持ち帰ったものを「トキジクノカグノコノミ」といい、この実を当地に蒔くとやがて芽を出したのが橘(ミカンの原種)で、そこからこの地を橘と呼ぶようになったと伝えられている。
黒砂糖をも持ち帰り橘と共に薬として用いたので、後に蜜柑・薬・菓子の祖神として崇め祭られるようになった。
「太子堂」の前には馬の像があります。
【黒の駒】
太子の愛馬で空を駆け、達磨大師の化身といわれる。
仏頭山麓の地蔵菩薩の傍らにその姿をとどめ、災難厄除のお守りになっている。
観音堂
【観音堂】
六臂如意輪観世音菩薩像(重文) (藤原時代)
梵 鐘
三光石・阿字池
【三光石】
聖徳太子勝鬘経
ご講讃の時
日、月、星の光を放った。
【阿字池】
梵字を形取り
聖徳太子が作られたと伝えられている。
606年(推古14)、太子がこの地で『勝鬘経』を講経すると、蓮の花が降って1mも積もる奇瑞が起こり、推古天皇が寺院の建立を命じたと伝える。
二面石
【二面石】
前面と悪面二つの顔をもつ石造物。
背中合わせになった二人の人物は、善悪二相をあらわすといわれる。
無垢な顔つきの善面と、大きくゆがめられた悪面の対比が目をひく謎の石造物である。
あまりにも山が見える長めが心地良かったので写真を撮りました。
橘寺の白壁
左後方に見える白壁が、橘寺の白壁。
【大阪】四天王寺2018年 聖徳太子が戦勝祈願の四天王像を祀った寺「四天王寺」。 四天王 四天王 四天王とは、仏界を守護する神で東方は持国天、南方は増長天、西方は広目天、北方は多聞天が守る。 『[…]