【奈良】當麻寺 本堂
2015年
2015年
中将姫の「當麻曼荼羅」のお寺 當麻寺へ行って来ました。
二上山禅林寺
真言宗の寺院と浄土宗の寺院が當麻寺を護持している。
弥勒仏をご本尊とし、金堂・講堂を中心とした三論宗の寺院であった。
寺伝では、用明天皇の皇子で聖徳太子の弟の麻呂子親王が612年(推古20)に河内に建立した万法蔵院を、70年ほどのちの681年(天武10)に、孫の当麻国見が夢のお告げによって役行者練行の地である現寺地に遷造。
當麻曼荼羅にまつわる中将姫伝説でも知られる。
真言宗の寺院と浄土宗の寺院が當麻寺を護持している。
真言宗の寺院と浄土宗の寺院が當麻寺を護持している。
弥勒仏をご本尊とし、金堂・講堂を中心とした三論宗の寺院であった。
寺伝では、用明天皇の皇子で聖徳太子の弟の麻呂子親王が612年(推古20)に河内に建立した万法蔵院を、70年ほどのちの681年(天武10)に、孫の当麻国見が夢のお告げによって役行者練行の地である現寺地に遷造。
當麻曼荼羅にまつわる中将姫伝説でも知られる。
真言宗の寺院と浄土宗の寺院が當麻寺を護持している。
綴織當麻曼荼羅の由来を説いた『當麻曼荼羅縁起』によれば、奈良時代のこと、中将姫がいた。當麻寺で出家し法如と号した。生身の如来を拝みたいと一心に祈っていると化尼があらわれ、「阿弥陀如来のお姿がみたければ、蓮の茎を百駄(馬100頭の荷)ぶん集めなさい」と告げた。集めた蓮の茎から化尼が糸をとり、染め寺の井戸で五色に染めると、別の化尼があらわれて夜中に布を織りあげた。それが綴織當麻曼荼羅である。化尼は曼荼羅の意味を解き聞かせ、「われこそは阿弥陀如来、機織りの化尼は観音」というと、西方に去った。
目次
仁王門 (国宝)
梵鐘 (国宝) 白鳳時代 日本最古
西塔・東塔 (国宝・天平時代)
西塔
三重塔にして“宝輪”は八輪で東西両塔の現存せるは當麻寺のみである
石燈籠 日本最古
金堂 (重文・鎌倉時代)
- 本尊 弥勒佛(国宝・塑像・白鳳時代)
- 多聞天(重文・木像・鎌倉時代)
- 持国天(重文・乾漆・白鳳時代)
- 不動明王(木像・藤原時代)
- 広目天(重文・乾漆・白鳳時代)
- 増長天(重文・乾漆・白鳳時代)
講堂 (重文・鎌倉時代)
本尊 阿弥陀如来坐像(重文・藤原時代)
ヒノキの寄せ木造。漆箔仕上げ。蓮華座に定印。
ヒノキの寄せ木造。漆箔仕上げ。蓮華座に定印。
- 不動明王(藤原時代)
- 妙幢菩薩(重文・弘仁時代)
- 多聞天(藤原時代)
- 阿弥陀如来(重文・藤原時代)
- 地蔵菩薩(重文・藤原時代)
曼荼羅堂 (国宝・天平時代)
天平宝字7年中将法如により蓮糸を以て織成されたと伝える蓮糸曼荼羅(古曼荼羅国宝)を文亀年間(室町)に転写したもの。図柄は観無量寿経に説かれている西方浄土を描いたもの(浄土変相図)。
寛元元年の(鎌倉時代)の銘文があり、特に螺鈿(貝)の紋様が美しい。
木造黒漆塗り、二重基壇の六角宮殿型厨子。現存するわが国最古最大の六角宮殿型の厨子。
(※奈良国立博物館寄託の厨子の扉絵(国宝)は、黒漆塗りで外側に散蓮弁文、内側に蓮池紋を蒔絵であらわし、蓮池の下方に蒔絵の技法で結縁者の名前が記される。摂政藤原教実、将軍源頼朝、将軍九条頼経、執権北条泰時を含む2150余名。
木造黒漆塗り、二重基壇の六角宮殿型厨子。現存するわが国最古最大の六角宮殿型の厨子。
(※奈良国立博物館寄託の厨子の扉絵(国宝)は、黒漆塗りで外側に散蓮弁文、内側に蓮池紋を蒔絵であらわし、蓮池の下方に蒔絵の技法で結縁者の名前が記される。摂政藤原教実、将軍源頼朝、将軍九条頼経、執権北条泰時を含む2150余名。
もと古曼荼羅を貼りつけてあった板で、板から完全に剥がれないで残ったもの、仏、菩薩の像が残っている。
織姫観音と呼ばれ一木彫
- 【中将姫二十九才像】(伝御自作)
- 【来迎仏】(伝恵心僧都作)
- 【弘法大師参籠間】
- 【役行者】
“講堂”に入ったあと、“金堂”の入り口から入ったはずが、仏像の後ろ側(背面)で驚きました。「そうか。講堂・金堂の入り口が向かい合っていたからだな。」と深く考えず金堂をみせて頂きました。
その驚いたポイントには意味・歴史があるお話を當麻寺の方に教えて頂きました。
↓↓↓
當麻寺の境内の位置に大きな意味がある
寺院は“東西”に塔があり“南”の入り口から入り、まっすぐ進むと“金堂”と決まっています。しかし、現在の當麻寺の入り口は“東”に仁王門があります。
“講堂”の入り口(南)から入ると、像がこちらを向いておられます。そして“金堂”の入り口(北)から入ると像の背面なので、ぐるりと正面にまわってみることとなります。これが不思議ではなく意味があったのです。
西に極楽浄土がある 観る方向に當麻曼荼羅
境内地図の現在地近くの“仁王門”から入り、右から左へまっすぐ進むと“講堂・金堂”の間を通り真正面に“本堂・曼荼羅堂”となります。當麻寺ができた時代には字も読めない人が多く、その人たちにも仏教を教えることが必要です。“當麻曼荼羅”は、極楽浄土とはこういうものだと絵で教えるためにつくられました。
南の門からの入り、「こちら(西)に極楽浄土がある」と観る方向に“當麻曼荼羅“がある。阿弥陀如来の極楽浄土は、こちら西だと覚えることができます。
馴染みある“阿弥陀如来”へ進む方向
南から入り、まっすぐ前に“金堂”。金堂の本尊は“弥勒菩薩”です。一般に人には“弥勒菩薩”よりも極楽浄土の“阿弥陀如来”が馴染みがある。極楽浄土・“阿弥陀如来”の方向へと真っ先に進む人が多くなり、“仁王門”が曼荼羅堂(本堂)にまっすぐ進める“東”に変わったそうです。
東塔・西塔の間の“南の入り口”から入ると、真正面に“金堂の正面”があります。こちらから入ると真正面に“弥勒菩薩”がこちらを向いていらっしゃいます。金堂の向こうの講堂の正面もこちらで、こちらを向いていらっしゃいます。(※こちらからは入れません。)
境内地図で見ると、手前左右に西塔・東塔の間の道を進むと石燈籠。上を見ると、金堂・講堂。
少し左に行くと曼荼羅がある“本堂・曼荼羅堂”が西。
こちらの方向に“極楽浄土”があって「南無阿弥陀仏」と唱えると誰もが知ることができるようになっています。ちなみに、曼荼羅堂の向こうに“二上山”があります。
こちらの方向に“極楽浄土”があって「南無阿弥陀仏」と唱えると誰もが知ることができるようになっています。ちなみに、曼荼羅堂の向こうに“二上山”があります。
西方のラクダの背のような二つの頂をもつ山、万葉の昔から歌に詠まれた二上山。二上山は古来より、日の昇る三輪山に対して日の沈む山としてあがめられ、人々は山の向こう側に来世への想いを重ねてきた。
當麻寺の護持は当番制
説明してくださった方によると、
當麻寺は“真言宗の寺院”と“浄土宗の寺院”が護持されていて、当番制で毎年交代されます。當麻寺のお守りも堂内の説明アナウンスも毎年変わるので、年が違って次に行くと浄土宗のエッセンス・真言宗のエッセンスの違いに触れる楽しみもあるそうです。(2015年は浄土宗のお寺でした。)
當麻寺は“真言宗の寺院”と“浄土宗の寺院”が護持されていて、当番制で毎年交代されます。當麻寺のお守りも堂内の説明アナウンスも毎年変わるので、年が違って次に行くと浄土宗のエッセンス・真言宗のエッセンスの違いに触れる楽しみもあるそうです。(2015年は浄土宗のお寺でした。)
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