2019年
京都・仁和寺の観音堂の公開に行って来ました。
金堂の「五大明王壁画」公開の時には、まだ観音堂からトントンという修理の音が響いていました。
こんなに早くに今まで公開されなかった観音堂が公開される機会があったとはなんと幸運。
新元号「令和」の看板
五重塔の前にある新元号「令和」の看板もしっかり撮ってきました。
観音堂や金堂への道のそばにあるので、すぐ見つけられました。
仁和寺観音堂落慶
観音障壁画 初公開
2019年5月15日~7月15日、7月17日~9月1日、9月7日~11月24日
928(延長6)年頃に造営され、江戸時代初期(1640年頃)に再建された観音堂。
重要な儀式が行われる修行の場で、通常は非公開。約6年にわたる半解体修理がこのほど完了。
木村徳応らが再建時に柱や壁に極彩色で描かれた「三十三応現身図」や「六道図」の障壁画も鮮やかに残されています。
角塔婆に結ばれた紐
観音堂の前にある角塔婆には、
堂内の本尊 千手観音菩薩像の手と繋がっているそうです。
観音堂 (重要文化財)
本尊に“千手観音菩薩像”を、その両脇に“不動明王”・“降三世明王明王像”、眷属として“二十八部衆像”、“雷神・風神像”の33体の仏像がまつられています。
仏像群の両側から背後まで取り囲むように観音信仰を描いた10面の障壁画。
人が輪廻転生するとされる六道の世界や、“三十三観音菩薩”などが極彩色で描かれている。
観音堂の感想
観音堂も金堂のように須弥壇に仏像がならんでおられますが、広さも堂内の空気感も金堂とまったく違って、とてもやわらかく感じました。
今まで公開されなかった修行の場で、観音様だけでなく“地獄道”も描かれているのに、堂内の印象は意外に思えました。
しかしよく考えると、
という説明と、受けた印象と同意なのかもしれないと思います。
正面で説明を聞かせていただいたあと観音障壁画の場所に移動する時に、須弥壇の横からみる二十八部衆像に感動でした。
観音障壁画
観音障壁画は上段と下段に描かれていて、なにを描かれているのか想像しながらぐるりと観せていただきました。
・どの観音様で、なにの場面だったのか
・どんな配置でまつられているのか
「三十三体のみほとけと幻の観音障壁画」という嬉しい冊子が売店で販売されていました。
“護符”と“散華”と“絵ハガキ”という記念品をいただきました。
御室桜の実?
観音堂の前に植わっている御室桜でしょうか?
赤や黒の実がなっていました。
仁和寺 金堂五大明王壁画 2018年 仁和寺 真言宗御室派 総本山平成6年に世界遺産に登録 光孝天皇が、大内山南麓に伽藍建立。宇多天皇が、888年(仁和4)に金堂竣工。 江戸初期、覚深法親王のとき徳川家光の[…]
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