2011年
奈良市の
真言律宗 総本山 西大寺に行ってきました。
称徳天皇により、奈良時代に
鎮護国家と平和祈願のために
「西の大寺」として建てられ
鎌倉時代に叡尊を中興開山としています。
東門
かつては、東大寺と並ぶ西の大寺であった西大寺。
平安・室町期の火災や兵乱で焼亡し、
奈良時代の十分の一の寺域となりました。
門を入り歩いていくと、
玄武の石碑がありました。
その向かい側に
四王堂
四天王立像(重文)
十一面観音菩薩像
像高1丈8尺
右手に錫杖、左手に華瓶。
“長谷式十一面観音像”です。
見上げて拝見する大きさの観音様に
奈良の大仏様を見た驚きに似た感覚になりました。
邪鬼 四天王立像
西大寺の創建は、称徳天皇が7尺の金銅四天王造立を発願したのにはじまりますが、火災により創建当初のものは“邪鬼”と、“塔の礎石”のみです。
ソメイヨシノ
不動堂
本堂
文殊菩薩騎獅像及び四侍者像(重文)
弥勒菩薩坐像
釈迦如来立像
真ん中に、珍しい立っていらっしゃる釈迦如来立像が。“清涼寺の釈迦如来像を模彫した像”なのだそうです。博物館などでは拝見したことはありますが、お寺でおまつりになっている釈迦如来で立像はあまり記憶がなく。
本堂内の壁には、灯りをともされた灯篭がずらっと何段にも並べられ、ポスターなどで見た事がある印象深い光景なのですが、やはりその光景が目に入らないぐらいに、釈迦如来立像に惹かれました。
お寺の堂内でおまつりになっている釈迦如来立像も新鮮ではありますがよかったです。
弥勒菩薩坐像
文殊菩薩騎獅像及び四侍者像
それはそれは素晴らしい“文殊菩薩様”で、圧倒され見惚れるお姿でした。乗っておられる“獅子”は、迫力がありますがどことなく愛嬌のある様なお顔に見えました。
中国の五台山で信仰された文殊像の形式にのっとって制作されたものだそうです。
善財童子がなぜ注目なのか?
「ところで、善財童子とはなぜ注目なのか。」と眺めていくと前に説明書きが貼られていました。
灰谷健次郎さんの小説『兎の目』の1節に登場しているのだそうです。
「あいかわらず善財童子は美しい眼をしていた。ひとの眼というより、兎の眼だった。それはいのりをこめたように、ものを思うかのように、静かな光をたたえてやさしかった。」(灰谷健次郎「兎の目」より)
説明書きを読んで、善財童子を見てを何度も繰り返していると灰谷健次郎さんがおっしゃっているのが共感できるようになりました。と同時に、何もない状態でこのように感じられ文章にされる灰谷さんの感性の素晴らしさも感じました。
善財童子はどのような方なのでしょうか?
ところで、善財童子はどのような方なのでしょうか?
調べてみました。
“文殊菩薩”の指南で各地の指導者(善知識)を訪ね、最後には“普賢菩薩”のもとにいたり菩薩道を極めたという『華厳経』入法界品にある善知識歴参の説話をあらわす東大寺の「華厳海会善知識曼荼羅」で知られています。
思い出しました!
その曼荼羅は、奈良国立博物館での特別展「西国三十三カ所 観音霊場の祈りと美」で拝見して、各指導者の前で色んな姿勢の善財童子の姿がとても印象深く残っています。
西国愛染十七霊場 第13札所
愛染堂
忍性菩薩画像
興正菩薩寿像(重文)
興正菩薩(叡尊)坐像 重文
を基に作られた像だそうです。
“興正菩薩(叡尊)坐像”の前のこちらから向かって左側に「東日本大震災犠牲者菩提也」(正しく記憶できておらずすみません。)と書かれた塔婆がありました。
茶盛
“お茶盛”とは、何でしょうか?
“叡尊”がお正月にお寺なのでお酒はふるまえないので、お供えしていたお茶を来てくれた人にふるまい
多くの人に飲んでもらうのに、まわし飲みをして貰ったのが始まりなのだそうです。
愛染明王像
厨子の中の秘仏と全く同じ大きさなのだそうです。
横にも愛染明王像が数体あり、中には持っておられるはずの矢がない、いわれのある愛染明王像もありました。
上のポスターがその秘仏の愛染明王坐像だそうです。
“1月”と“10月”に開扉日があります。
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