「大原問答」の勝林院に行ってきました。
ブログにて、勝林院までの道を歩いてみようと思います。
「呂川」と「律川」
大原には、「呂川」と「律川」があります。
大原の魚山は仏教音楽である天台声明の発祥の地であり、その魚山を源とする呂川と律川の名前は、和楽の旋法に因んで名付けられました。
調子はずれを「呂律が回らない」と言うのもこの事が語源となっています。
下から登っていくと
三千院の手前に「呂川」があります。
三千院を右に見ながらさらに進み、右に「大原陵」「大原法華堂」を通り過ぎたところ「律川」があります。
道なりのポイントは、ここの場所です。
朱色の橋越し真正面には、勝林院が見えています。
この橋の手前 左側に、「鉈捨薮跡」があります。
鉈捨薮跡
京都大原 勝林院の天台僧“顕真”が“法然上人”を招き、念仏によって極楽往生ができるか否かを論争した「大原問答」が行われた勝林院の八講壇と呼ばれる問答台を実際に見た後に、「鉈捨薮跡」の石碑の場所に立ちました。
「鉈捨薮跡」
1186年の大原寺勝林院での法然上人の大原問答の時、その弟子の熊谷直実(蓮生坊)は「師の法然上人が論議にもし敗れたならば法敵を討たん。」との目的で袖に鉈を隠し持っておりましたが、上人に諭されて鉈を薮に投げ捨てたと伝えられています。
なお勝林院は、橋を渡り50メートル先です。
忍ばせた鉈を捨てたのがこの距離であり、法然の弟子が鉈を忍ばせていたという事が、単なる議論・問答ではなかったということを知りました。
この道を再度辿るとドラマの演出のような距離であり、しかし実際にあった事実であるのならば、身が震えるような緊迫感が伝わってくるように思います。
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