【大阪】天野山金剛寺 レポート

【大阪】天野山金剛寺 レポート

国立博物館で見上げていた
とても大きな仏像が、
お寺に戻られた姿を見たいと
天野山金剛寺に行って来ました。

天野山金剛寺

真言宗御室派の大本山。

寺伝では
奈良時代、聖武天皇の命で行基が開創し
平安初期、空海が修行した地。

平安末期に高野山の僧阿観が来寺して
金堂、多宝塔、弘法大師の御影を祀る御影堂などを建立し、
密教の道場として復興。

また
後白河法皇と妹八条女院が帰依し、寺領を寄進。

女院の次女らが阿観の弟子となって入寺し、
以来、「女人高野」として女性の信仰も集めた。

南北朝時代には、
南朝方の重要な拠点、勅願寺となった。

寺の前を通る街道は
和泉地方や高野山に通じ交通の要地であった。

 

出会い

国立博物館に
とても大きな仏像があって

「こんな大きな仏像のお寺って、どんなお寺なのだろう?」

と思っていたのが、
天野山金剛寺の金堂の仏像だったのでした。

京都国立博物館で大日如来・不動明王坐像、
奈良国立博物館で降三世明王坐像が
保存・修復されていて

国宝となって新しい金堂にお帰りになりました。

三尊像は金堂ですが、
駐車場から向かうので
「奥殿」→「摩尼院」→「楼門」の順番になりました。

この「奥殿」と「摩尼院」。

南北朝時代に
南北両朝の御座所が
寺内に隣りあう時期もあったお寺なのだそうです。

南北朝時代

【南北朝時代の天野山金剛寺】

南北朝の争乱期には、

南朝の行在所(仮の御所)が置かれ、
天野行宮とよばれた。

北朝の光厳・光明・崇光の三上皇が、
観蔵院を御座所とされた。
(足利尊氏が、一時南朝方に和睦を申し入れたため
人質と差しだされた北朝の三上皇が御在所とされた所。)

 

【南北朝時代】

1333年の鎌倉幕府滅亡後、後醍醐天皇と足利尊氏が対立。

尊氏が京都に光明天皇を擁立したため、
後醍醐天皇は奈良の吉野に逃れた。

以後、57年間、朝廷は
京都の北朝と吉野の南朝に分かれ、
互いに争ったが、92年に南北朝が合一した。

 

本坊・奥殿(観蔵院・北朝御在所)

あの…
拝観料をお支払する場所の周りは

砂利で綺麗にされているので
踏まないように気をつける必要がありました。
最初、気がつきませんでした…

中に入ると障子に
拝観ご案内の張り紙を読んで、

心のスタンバイ。

静かな「たたずまい」の中で、
想いを遠く南北朝 更に平安朝にまで
馳せていただき…

なんて、やさしさのある美しい表現のご案内でしょう。

誘われるままに進みました。

本坊前の庭園

最初の造園は室町時代とされるが、
桃山時代に豊臣秀吉の家臣の子が手直しし

江戸時代、雪舟流家元の庭師谷川柳によって改装。

中央に樹齢600年の五葉松の茂る鶴島や
亀島を配し、回廊前には瓢箪形をした
玉石敷きの枯れ池。鎌倉時代の灯籠。

庭を見せていただき
回廊を歩き持仏堂へ
そして宝物館へと進むのですが

庭だけでなく、建物の中も素晴らしい数々。

池に蓮

女人高野

阿観上人が復興当時の高野山は、
女人堂を境に女人禁制でした。

参詣に向かう道中には、
女性が参拝できる寺院がいくつかあり
金剛寺も女性の参詣を受け入れていました。

持仏堂

元 中院(金剛寺本坊)の本堂で
本尊は不動明王。江戸時代。

宝物館

「阿観上人坐像」
「伝教大師作 走り大黒天」などがまつられ

阿観上人にまつわる説明や
天野酒と松茸の説明と礼状の展示がありました。

宝物館 「名物 天野酒と松茸」

天野山金剛寺のある河内長野市域は
昭和30年代まで松茸狩りが盛ん。

室町時代から時の権力者へ、
世に知れた天野酒を贈っていました。

歴史上有名な人からの礼状には、
織田信長、森蘭丸、豊臣秀吉、
豊臣秀長、豊臣秀次からのものがあります。

徳川幕府の時代になると、
酒造りが制限されたこともあり、
松茸の礼状となりました。

 

 

摩尼院(南朝御在所)

南北朝時代の1354年から1359年まで
南朝後村上天皇の行在所にあてられる。

南朝の五村上天皇は、
1354年、吉野の賀名生から金剛寺に移り
摩尼院を宮居とされ、
食堂を正殿として政務をとられた。

木造十一面観音立像、眠り弘法像などがまつられていました。

板の壁に白で描かれた龍の鋭さが、
印象的でした。

さて、金堂の方へと行きます。

楼門

鎌倉時代 重要文化財

 

増長天立像

鎌倉時代 重要文化財
木造 像高271,9cm

持國天立像

鎌倉時代 重要文化財
木造

楼門を入ると、

(右 手前)食堂(天野殿)
(右 奥) 金堂
(左) 多宝塔
(正面)薬師堂・五仏堂・御影堂・観月亭

金堂

大日如来・不動明王・降三世明王坐像

この三尊の組みあわせは、
密教図像の尊勝曼荼羅を立体的に表現したもの。
彫像では、唯一の遺例である。

(大日如来)
木造 像高313.5cm 平安時代 国宝
(不動明王・降三世明王)
木造 像高207.5~220.9cm 鎌倉時代 国宝

虹梁 内側から 鳳凰

虹梁 外側から 天人

念願の三尊像です。

堂内暗く、
三尊像と距離があったせいか
あの博物館で見上げた大きさはなく

でもそれは
お寺でおまつりされている静けさかとも思いました。

お戻りになられたのだなと思いました。

多宝塔

平安時代 重要文化財
建立は承安年間(1171~75)ころ。
わが国最古の多宝塔の形式をとどめる
きわめて貴重な建物である。

内部に八角の須弥壇を設け、
大日如来像を安置する。

薬師堂

五仏堂

五智如来がまつられていて
暗い堂内が
おまつりされている灯明のみに
照らされるその空間は、
仏様の世界を見せていただいているようでした。

御影堂

五仏堂の横に
五仏堂方向を向いて
御影堂が建っています。

観月亭

御影堂の西面を接続する建物。
南朝の後村上天皇は、
観月の宴を催されたという。

御影堂の横に観月亭があります。

空を見上げてみると

金堂の屋根むこうの山の上を見上げるのでしょうか。

法具蔵

法具蔵というものがある横に
護摩堂がありました。

三尊像と思い来たのですが、
静かなたたずまいを感じ

ここが南北朝時代をと思い
心に残るお寺となりました。

 

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