お寺・神社・博物館・美術館にて【法輪堂の拝観日記】

【奈良】東大寺 戒壇院(拝観日記)

【奈良】東大寺 戒壇院
2010年

東大寺 法華堂のあと、戒壇院へと来ました。

日本にはじめて正しい戒律を伝えた鑑真

聖武上皇は、光明皇太后らとともに唐から渡来した鑑真から戒を授かり、
よく年日本初の正式な受戒の場として戒壇院を建立しました。

戒壇院では、四天王が戒壇を守り続けています。
戒壇は、僧としての戒律を守ることを仏前に誓う厳粛な儀式の場です。

今回、日記としてまとめる時に
「戒壇院」なのか、「戒壇堂」なのかと調べてみると

戒壇堂は、
日本初の授戒の場として、戒壇院の中に立つ堂。
当初の戒壇院にはほかにも講堂や僧坊など諸堂がありましたが
消失を繰り返し、戒壇堂と千手堂のみが江戸時代に復興されました。

調べてみて、ようやくすっきりしました。

戒壇堂

戒壇堂に入ると、靴を脱いで少し階段を上がります。

〔四天王〕
持国天(塑像) 像高160,5cm 奈良時代
増長天(塑像) 像高162,2cm 奈良時代
広目天(塑像) 像高169,9cm 奈良時代
多聞天(塑像) 像高164,5cm 奈良時代

〔多宝塔内の二仏〕 二仏は、東大寺収蔵庫に安置。
多宝塔内には、模造の二仏(木造)
釈迦仏(銅造) 像高 25,0cm 伝唐時代
多宝仏(銅造) 像高 24,2cm 伝唐時代

拝観できる場所は、真ん中の四角い壇の周りをぐるりとまわって壇の四隅には、擬宝珠高欄で区切られ一段上に高くなっています。

戒壇の東西南北の四周を守護するのは、須弥山の中腹で仏法を四方から護る護法神の四天王です。どの像も、“邪鬼”の上に立っておられます。

向かって

  • 右手前(南東) 剣を握る「持国天」
  • 左手前(南西) 戟という槍をもつ「増長天」
  • 右後列(北東) 右手で多宝塔を捧げる「多聞天」
  • 左後列(北西) 筆と巻子をもつ「広目天」
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多宝塔

多宝塔には、左に“多宝仏” 右に“釈迦仏”。
その右横 少し前に“鑑真のお姿の額”がありました。
多宝塔の二仏は、鑑真が来朝のとき唐から請来したといわれている像を模した像だそうです。

戒壇

戒壇は三段になっており、これは“大乗菩薩の三浄聚戒”を表しているのだそうです。

舞台のような場所の真ん中に“多宝塔”。
四隅の四天王が立っておられる場所とはかなりスペースがあり空間が大きく感じました。

実際に拝観する場所も少し階段を上がった場所ということもあり、空気が高いところに上がった森林浴に似た感覚を感じました。

第一印象は、法華堂の300cmの四天王に圧倒された後でしたのでとても小さい像に思えました。それは、大きさだけのことでそう感じたのではなく、引き締まった御身体、そしてお顔の表情が厳しく大変リアルだったからだと思います。

“持国天”の剣の刃は鋭くよく切れそうで今にも切りかかられそうです。目を見開き口を曲げておられる表情から目が離せなくなりそうです。

持ちての長い戟の高い場所で持ち口を大きくあけておられる“増長天”と宝塔を持つ右手を上にあげておられる“多聞天”の前は、目を伏せて下を向いて、早く通りぬけたいように思いました。

一番印象的なのは、“広目天”。下に下げておられる右手には筆が握られています。この筆先にとても惹きつけられました。筆の向きや、筆先の鋭さからでしょうか、何かをとても物語っているように思えるのです。そして遠くを見ておられるお顔の表情もずっと眺めていました。

いつもと違う神聖な空間の空気にひたり、戒壇堂を後にする際に戒壇院の方たちが明るく挨拶してくださったのも大変心に残っています。

東大寺 - 華厳宗大本山

戒壇院戒壇堂 Kaidan-dō at the Kaidan-in 県指定重要文化財 ●かいだんいんかいだんど…

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