高台寺に来ました。
高台寺は、
豊臣秀吉の夫人 北政所高台院湖月尼(ねね)が
1605年(慶長10)に創建した寺です。1598年(慶長3)に死去し、ほど近い阿弥陀ヶ峰に葬られた
秀吉の菩提を弔う意味も込められていました。
ゆるやかな石段を登っていきます。
高台寺 梵鐘(重要文化財)(※注 2009年撮影)
遺芳庵
灰屋詔益と吉野太夫との好みの茶席であり、
鬼瓦席と共に高台寺を代表する茶席として知られています。
観月台<重要文化財>
池に掛かる橋の途中に観月するための建物
庭には、ピンク色の百日紅の花が咲いていました。
開山堂 <重要文化財>
高台寺第一世の住持 三江詔益禅師を祀る塔所です。
左右の壇上には木下家定(ねねの兄)、雲照院(家定の妻)等の
像も安置されています。
礼堂部中央の彩色天井には北政所の御所車の天井
前方の格子天井には秀吉が使った御船の天井が用いられています。
高台寺は、臨済宗建仁寺派の寺院ですが
はじめは曹洞宗だったとの説明書きが開山堂でされていました。
三江詔益禅師を祀られている開山堂の真ん中は、奥行きがかなりあり
途中に具足がありました。
建物の天井・柱には、彩色された文様が薄れてきていましたが
それがまた味わい深く感じました。
臥龍廊(がりゅうろう)
開山堂と霊屋を結ぶ階段で、龍の背に似ているところから
臥龍廊と名付けられました。
霊屋 (おたまや) <重要文化財>
中央 本尊・随求菩薩 (すいぐぼさつ)
右側に秀吉
左側に、インドの礼法にのっとる胡跪(こき)という
右ひざを立てた姿をした北政所
外から見せて頂くのですが、
内陣の手前でガラス張りになっているようで
晴れていると反射してよく見えませんでした。
「厨子や須弥壇に施されているのは
飾り金具なのか、有名なこれが高台寺蒔絵なのか?」と思って
目を慣らして見ていると係の方が「高台寺蒔絵です。」と教えてくださいました。
北政所が、下で眠っておられるとか。
北政所の厨子は、表裏の文様は同じですが
秀吉の厨子は表裏違う文様だそうです。
像の背景は、狩野永徳筆と伝えられています。
「高台寺蒔絵」は、桃山期の漆工芸の代表とされています。
正面須弥壇には楽器尽くし、階段には花筏が描かれ
他にもさまざまな植物文様が施されています。
高台寺蒔絵といえば、今まで展覧会などで見てきたものは
文様も大きく金の色もはっきりしていると思っていました。
こちらでは、
厨子に文様がいっぱい描かれてはいますが
金の色は抑え気味に見えました。
時が経っての色なのかもしれませんが、こちらの方が味があるように思います。
霊屋からの臥龍廊
霊屋から坂を上ると、時雨亭とともに伏見城から移築された
茅葺きの茶室傘亭があります。
傘 亭 <重要文化財>
時雨亭 <重要文化財>
高台寺の傘亭・時雨亭は、
利休の意匠による茶席であり伏見から移建したものです。
秀吉が好んだ茶室であるといいます。
傘亭は竹が放射状に組まれ、
カラカサを開けたように見えることからその名があり、
正式には安閑窟と呼ばれます。
時雨亭とは土間廊下でつながっています。




土間廊下でつながっています。
この廊下が路地の役目も果たしています。
これは小堀遠州の意匠によるものです。




竹の道を下りていくと
彫りの立派な門がありました。
高台寺蒔絵で高台寺のイメージをしていました。
実際に行ってみると空間が大きく明るい感じはしますが
観光地の寺院の賑やかさではなく静かな流れを感じました。
(※注)
豊臣秀吉の妻・ねねゆかりの高台寺の重要文化財の梵鐘が
老朽化のため、約400年ぶりに2010年末に
新しい梵鐘が新調されたそうです。
梵鐘は、寺の創建と同じ年に鋳造され
ねねの兄 木下家定が寄進したと伝わっています。
この1、2年で音が悪くなり、鐘をついた後の残響も短くなったので
ほぼ同じ大きさの鐘を新調されたのだそうです。
鐘もそうですが、「おリン」も外から見た目は割れ等なくても
音が鈍くなったように感じたり、残響が短くなった場合
「おリン」の中が割れていますので修復はもうできません。
特別展覧会 japan 蒔絵 -宮殿を飾る 東洋の燦めき-2008年10月18日(土)~ 12月7日(日)京都国立博物館 蒔絵の世界史ともいえる今回の特別展にマリー・アントワネットの蒔絵の旧蔵品やポンパドゥール侯爵夫人ゆかりの品[…]