2022年
兵庫県神戸市にある“須磨寺”に行って来ました。
源平ゆかりの名刹であり、残っているものなどを見せていただくことにより、哀しき現実のエピソードがくっきりしました。そして阪神淡路大震災のことや、寺務所に飾られている書のことにふれながらレポートしようと思います。
真言宗須磨寺派の大本山
山号:上野山(じょうやさん)
本尊:聖観音
開祖:聞鏡
開基:光孝天皇(勅願)
・新西国三十三箇所第24番札所
・真言宗十八本山第2番
・役行者霊蹟札所
正式名称は福祥寺
境内
仁王門
仁王力士は、運慶及び湛慶の作と伝えられています。
弘法岩五鈷水
本堂
大師堂
弁慶の鐘
櫻寿院
右の脇侍に“大日如来”と“浪切不動明王”、左に“弘法大師”と“秘鍵大師”
正覚院
西国愛染十七霊場第6番
ひとすじ辨財天
出世稲荷社
『平家物語』 “熊谷直実”と“平敦盛”
源平合戦と須磨寺
須磨寺は、源平一ノ谷合戦が行なわれた時、源氏の大将源義経の陣地であったと伝えられています。海側に陣を構えた平家に対し、山が海にせまった地形を利用し、義経は山から崖を馬で駆け下り逆落としの奇襲をかけます。不意を突かれた平家は、海へと逃げることしかできず、源氏の歴史的な勝利となりました。
『平家物語』「敦盛最期」の段における平敦盛との一騎討ちは、直実は敦盛とともにこの故事の主人公として、能の演目『敦盛』、幸若舞の演曲『敦盛』といった作品に取り上げられている。
源平の庭
源平の庭
今から八百年前の平敦盛・熊谷直実の一騎討ちの場面を再現した庭です。
(右)扇を手に持つ“熊谷直実”
(左)海にいる“平敦盛”
宝物館
平敦盛遺愛の「青葉の笛」などと源平ゆかりの宝物や須磨寺の歴史的宝物が展示されています。
その笛を宝物館で実際に目にするとは思いもせず、複雑な気持ちで一瞬ながめさせてもらいました。そして「赤旗名号(法然上人 筆)」の実物を見せてもらい、殺し合わねばならない武士の世が現実であったことを思いながら過ごしました。
「赤旗名号(法然上人 筆)」とは、
直実が敦盛の菩提を祈るため、法然上人にお願いし、平家の赤旗に「南無阿弥陀仏」と書いて頂いたというもの。直実は法然上人の弟子となり名を蓮生と改めました。
あつもり首塚
一の谷の戦いで、“熊谷直実”に討たれ戦死した“平敦盛”の菩堤を弔う為に建立されたものです。
蓮生院
塔頭三院の一つで、「蓮生」とは熊谷直実が「蓮生坊」と名乗ったことに由来する。直実は一の谷の合戦で戦死した平敦盛菩提の為、法然上人のもとで修行し、諸国行脚の途中、須磨を訪れたといわれている。
本尊:不動明王
成田山不動明王分霊も奉祀
阪神淡路大震災追悼
観音池(かめの池)
観音池を囲む壁面には千体仏とわらべ像。追悼碑の横には“千手観世音菩薩像”がまつられ、“観音池(かめの池)”がありました。
阪神淡路大震災物故者追悼碑
「慈眼視衆生」
NHK大河ドラマ「平清盛」の題字作家・“金澤翔子さんの書”「慈眼視衆生」
「慈眼視衆生」(じげんじしゅじょう)
観音様は慈しみの眼でいつも私たちを見守ってくださっている、という意味。
金澤翔子さんの書
“寺務所・納経所”でお守りなどを見ていると、大きな書の額があがっていました。よく見ると「翔子」と書かれていましたので、あの金澤翔子さんの書だとわかったのですが、あとで調べてなお納得。大河『平清盛』の題字を書かれていたのでした。
法話(YouTube)
家に帰ってから須磨寺の副住職さまのYouTubeを見ました。
護摩祈祷のあとの法話で、煩悩とのつきあい方のようなおはなしが、とても気持ちが楽になるようでしたのでこちらにリンクを貼っておきます。
⇒【(須磨寺)新春護摩祈祷 五座目】(YouTube)
神戸市須磨区にある、須磨寺の行事、境内案内などをお知らせします…
大原問答の時の熊谷直実(蓮生坊)
「大原問答」の勝林院に行ってきました。ブログにて、勝林院までの道を歩いてみようと思います。 「呂川」と「律川」 大原には、「呂川」と「律川」があります。 大原の魚山は仏教音楽である天台声[…]