2010年7月21日(水)~9月26日(日)
奈良国立博物館
奈良国立博物館での
特別展「仏像修理100年」
(2010年7月21日~9月26日)
に行ってきました。
その始まりは、古社寺保存法が制定された翌年明治31年(1808年)に遡ります。
その歴史は修理文化といってもよい程に内容が豊富です。およそ百年の修理の歴史を振り返ります。
材
展示室に入る前のスペースで“楠材”・“榧材”・“檜材”で粗彫りされた坐像が3体並んでおり、触って材質の違いを体験するコーナーがありました。
その横で楠材・榧材・檜材の木片を頂くことができました。頂いた木片は、楠材が一番強く香りがしました。
写真パネル・模型・図
展示室に入って最初の展示は、東大寺南大門仁王像の修理の写真パネルや模型や図などの展示で始まります。
法華堂の構造図や、法隆寺の救世観音・百済観音、平等院鳳凰堂の雲中供養菩薩像などの修理図などの展示があり、図に赤や青や緑で、補足された部分や補修された部分が色分けされています。
その図面を見ていくと、国宝級のものを修理ということなので元のままをいかに残しつつ、丁寧に修理に当たられているのかがわかります。
戦争中の修理
三十三間堂の千手観音像は、昭和の大修理が行なわれましたが千一体あることから21ヵ年かかったのだそうです。
戦局が厳しくても、戦後の混乱期にあっても修理が中断されずに続けられたのだそうです。
戦時下では、若者は兵隊にとられ、修理現場では老技術者だけで細々と国宝の修理が続いていました。
そのことに西村西朝さんの言葉があります。
私が帰国して、もっとも感激したことは、この老人達が、修理を続けてきたことと、日本があれ程の惨敗をしている最中でも国から補助金を出して、国宝修理を続けさせていたことである。
心に響かせれば響かせるほど国宝修理が続けられた深さを感じさせてくれる言葉だと思いました。
それは、正倉院展が始まった時のことに重なるように思います。
戦時中、空襲をさけるために奈良国立博物館に避難してあった宝物を、終戦の翌年に元に戻る際に「その前に一目見たい」という人々の声に応えることになり開催が決まったのだそうです。
第1回展の際、敗戦の後の人々の心に希望を与え「日本はすべてを失ったわけではない日本には文化がある」と感じた方もあるといいます。
模造
色鮮やかに彩色された興福寺の「脱活乾漆造阿修羅立像 模造」 や汚れた色も再現された法隆寺の「百済観音立像 模造」など模造像の展示がありました。
そっくりそのまま再現されていると思いますが、本物とは全く別物と見えるのは不思議です。
法隆寺の「毘沙門天立像 模造」・「吉祥天立像 模造」は、彩色模様も細かく、色鮮やかで大変綺麗で目を惹きました。
最後にガラスケースに、「西村公朝 調査ノート」の展示があり大変細かくメモをされていました。
メモを丁寧にする大切さを教えられました。
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