お寺・神社・博物館・美術館にて【法輪堂の拝観日記】

特別展「聖徳太子 日出づる処の天子」 レポート【大阪市立美術館】

千四百年御聖忌記念特別展 
聖徳太子 日出づる処の天子

2021年9月4日(土)~10月24日(日)
大阪市立美術館

国宝10件、
重要文化財47件を含む約200件を展示

令和四年(2022)、聖徳太子(574-622)が没して千四百年を迎えます。
百年に一度の節目にあわせ、太子の生涯をたどり、没後の太子信仰の広がりをご紹介する展覧会を開催します。
用明天皇の皇子として生まれた聖徳太子は、推古天皇の摂政として十七条憲法の制定や遣隋使の派遣など国家体制の確立に大きく貢献したことで知られます。さらに、大阪・四天王寺や奈良・法隆寺の創建に代表されるように仏教を篤く信奉し日本仏教の礎を築き、天台宗開祖・最澄(767-822)や浄土真宗開祖・親鸞(1173-1262)をはじめとする名だたる高僧に崇敬されました。

本展覧会では、こうした「聖徳太子と何か」という問いを解くべく、太子に関わる美術の全貌を、太子信仰の中核を担ってきた大阪・四天王寺の宝物を中心にご紹介いたします。

音声ガイド

ナビゲーター 鳥海 浩輔

聖徳太子

「日出処天子致書日没処天子無恙云云」
(日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す、恙無きや、云々)
『随書』巻八十一 東夷伝

聖徳太子は推古天皇の摂政として、冠位十二階の制定や、十七条憲法の発布、「日出づる処の天子」と記した国書を携えたとされる遣隋使の派遣などの事業を推進し、国家の礎を築いたことで知られます。

一方で、仏教排派である物部守屋との戦いに勝利し、仏教を広めたことから、日本仏教の祖として篤く信奉される歴史上類まれな人物です。

第1章 聖徳太子の生涯 太子の面影を追って

聖徳太子により創建された大阪・四天王寺において、奈良時代(八世紀)にその生涯を絵画化した「聖徳太子絵伝」が創始。
太子絵伝とあわせて、太子が所持したと伝わる飛鳥時代の品々や、その実績を物語る作品を紹介し、太子の足跡をたどります。
聖徳太子絵伝とは、太子の生涯におけるさまざまな事績を大画面に描いた絵。
絵伝をもって太子の生涯を解説する「絵解き」。
平安時代以降、絵堂において太子絵伝の絵解きが行われてきた。

聖徳太子像

聖徳太子二歳像(南無仏太子像)

像高68.0 
南北朝時代 十四世紀 
大阪・四天王寺

聖徳太子二歳の春、東方に向かって合掌し「南無仏」と唱えたという姿。

聖徳太子童形半跏像

像高28.2 
南北朝時代 十四世紀 
大阪・四天王寺

柄香炉を執る孝養像で、しょう座に左足を踏み下げて座る半跏像

聖徳太子摂政坐像

重要文化財
院恵・院道作 像高93.5 
鎌倉時代 建治三年(1277) 
奈良・達磨寺

袍を着け巾子冠を戴き両手で笏を執り端坐する聖徳太子像。
推古天皇を補佐する太子をあらわした摂政像。

聖徳太子勝鬘経講讃坐像

重要文化財 像高77.0 
桃山時代 十七世紀 
兵庫・中山寺

袍を上に袈裟を着け左手に団扇状の持物を執る聖徳太子像。
朱塗りの前机には経巻がひろげられている。
太子三十五歳の時、推古天皇に請われ女性の成仏を説く勝鬘経の内容を講じその功徳を讃えたすがたをあらわした講讃像。

推古天皇像 土佐光芳筆

江戸時代 享保十一年(一七二六) 
大阪・叡福寺

推古天皇の単独肖像としては現存唯一の作品。
橙色に桐竹法横文を金泥で描く帳の下、法輪と鳳凰の髪飾りを付け、右手に団扇を執り、上畳の上にゆったりと坐す。

色付けが落ち着いて全体が品があり、
逆に髪飾りが大きいので位の高さを感じました。

慧慈和尚坐像

平安時代 十世紀 
山口・般若寺

慧慈は飛鳥時代の高句麗出身の僧で、百済僧慧聡とともに来日し、聖徳太子に仏の道を説いた師として知られる。
寺外初公開。

表情に皺、全体に木目がハッキリ見えることで、お姿が見えるような像でした。

懸守(かけまもり) 四懸(七懸のうち)

国宝
木製・綿

平安時代 十二世紀
大阪・四天王寺

懸守とは、紐をつけて首から懸ける御守で、女性や子どもが旅の道中に携帯したものである。四天王寺の懸守は、「太子伝来七種の宝物」の一つとして太子所用の御守として伝来したもの。

太子ゆかりの古代の剣

国宝「丙子椒林剣」飛鳥時代 7世紀 大阪・四天王寺

国宝「七星剣」 飛鳥時代 七世紀 大阪・四天王寺

太子佩用の伝承を持つ剣として「太子伝来七種の宝物」に数えられる。

第1章の感想

聖徳太子像は、展示室の中央に一直線に像が展示されていました。

これが良かった!というのは、視野に他の像も入ってくることにより、それぞれの像の特徴のちがいを確認しながら見やすく、頭の中も整理しやすかったのがありがたかったです。

というのも、どれも聖徳太子像であるけれど姿がちがう。

髪型・姿がちがっても“あれもこれも聖徳太子”と知っていることに驚き、逆に“聖徳太子像はこんな姿とこんな姿がある”と言えなかったので、しっかり覚え直しながら見ることができたのでスッキリしました。

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第2章 聖徳太子信仰の広がり 宗派を超えて崇敬される太子

聖徳太子は日本に仏教を広めた人物として、没後まもなく信仰の対象となります。さらに太子は、中国天台の高僧・南岳大師慧思の生まれ変わり、あるいは観音の化身とも見なされ、最澄、親鸞や一遍といった各宗派の祖師をはじめ、身分・男女を問わず多くの人々から崇敬されます。

多種多様な太子像の全貌と、各宗派における太子信仰の広がりを示す作品を紹介します。

聖徳太子童形立像(孝養像)

重要文化財
木造 像高131,8 
鎌倉時代 十四世紀 
茨城・善重寺

左手に香炉。右手に笏を執る聖徳太子像。
父・用明天皇の病気平癒を祈る十六歳の「孝養像」に、笏を持つことにより「摂政像」としての意味も付加される。

本像は、明治二十九年に岡倉天心が発起人となり、渋沢栄一など当時の著名人たちの支援を得て太子堂が再建され、その保全が図られた。

聖徳太子童形像・四臣像

室町時代 十五世紀 
大阪・四天王寺

楕円形の団花文が施された帳の下、背障の前に置かれた框座の上に正面を向いて立つ聖徳太子童形像と四臣像。太子は角髪を結い、右手に笏、左手に柄香炉を執る。袍の上に袈裟を着し、横被は右肩から手前に垂らす。足元には、向って右から蘇我馬子、新羅聖人日羅、高句麗法師慧慈、百済博士学哿。

聖徳太子童形像・六臣像

桃山時代 十六世紀 
大阪・四天王寺

金色の花文が施された豪華な金泥の帳の下、四天王寺四臣本同様に太子が背障の前の框座の上に正面向いて立つ童形太子像と六臣像。太子は垂髪とし、右手に笏、左手に柄香炉を持つ。周囲の侍臣は六人とし、小野妹子と聖明太子阿佐が加わる。

聖徳太子・文殊菩薩相見図

絹本着色 
室町時代 十五世紀
大阪・四天王寺

文殊菩薩、聖徳太子童形像そして上方に山稜と三星を描く、類例の知られないきわめて珍しい作品。

善光寺如来絵伝 四幅

絹本着色
室町時代 十五世紀
愛知・満性寺

善光寺は長野県長野市所在の天台宗および浄土宗の別格本山であり、創建は奈良時代(七世紀)に遡る。本尊の如来像は、インドの毘舎離国・朝鮮半島の百済を経由し日本にもたらされた、日本最初の三国伝来の阿弥陀像として信仰をあつめている。善光寺縁起では太子・蘇我氏と物部氏の仏教受容をめぐる抗争について語られ、本像が日本に流伝する過程の重要エピソードと位置付けられる。

一遍聖絵

国宝 円伊筆
絹本着色

鎌倉時代 正安元年(1299)
神奈川県・清浄光寺(遊行寺)

時宗の開祖一遍(1239~89)の生涯を絹地に描く全12巻の絵巻。
本絵巻の特徴は、一遍が遊行した全国各地の霊場を、実景に基づくかのように詳密に描く点にある。大阪・四天王寺も繰り返し大きく取り上げられており、巻第二第三段では、“一遍が同寺で聖徳太子の手印が捺された縁起を拝して発願し、人々を救うため、この地で念仏札を配り始めたこと”が語られている。

第3章 大阪・四天王寺の1400年 太子が建立した大寺のあゆみ

大阪・四天王寺は、推古天皇元年〈五九三)に聖徳太子が建立した日本最古の官寺です。
仏教排斥派・物部守屋との戦の際、太子自ら四天王像を彫り、もし戦勝の祈りが叶えば四天王のために寺を建立すると誓いを立てたことに始まります。

四天王寺の一四〇〇年をその名宝とともに紹介します。

後醍醐天皇、四天王寺縁起を書写し、手形を押す
四天王寺縁起(根本本)

「宝塔金堂相当極楽土東門中心」

国宝
平安時代 十一世紀 
大阪・四天王寺

四天王寺の縁起と、資材および四天王寺護持の聖徳太子の本願を記す。奥書に推古天皇三年(595)に太子自ら書写したとあり、その証に御手印二十六顆を捺すことから、「御手印縁起」とも呼ばれる。太子伝来七種の宝物に数えられる四天王寺の最重要の宝物。

聖徳太子絵伝(旧絵堂壁画) 狩野山楽筆

重要文化財
板絵着色
158.0×51.5~75.5

江戸時代 元和九年(一六二三) 
大阪・四天王寺

四天王寺絵堂の壁画として描かれた聖徳太子絵伝。

四天王立像 平安~鎌倉時代

十二世紀 
大阪・大聖勝軍寺

飛鳥時代に造立された四天王寺金堂の四天王像に倣うもの。

大聖勝軍寺は、聖徳太子が蘇我氏とともに物部氏と戦った地に建つ寺院で、叡福寺野中寺と合わせ「河内三太子」を構成する。

聖徳太子勝鬘経講讃図

重要文化財
鎌倉時代 十三世紀 
兵庫・斑鳩寺

現存最大の勝鬘経講讃図。
聴聞する人物は右から、小野妹子蘇我馬子百済博士の学哿(覚哥とも)、牀座上の高句麗僧の慧慈、太子の息子の山背大兄王の5人。

虎像 伝 左甚五郎作

像高55,8 
江戸時代 十九世紀 
大阪・四天王寺

四天王寺聖霊院の虎の門の梁の上中央・蟇股に所在したもの。

勝鬘夫人坐像

像高55,8 
江戸時代 元禄七年(1694) 
大阪・愛染堂勝鬘院

勝鬘夫人(しょうまんぶにん)とは聖徳太子が講讃した『勝鬘経』の主人公であり、釈迦にまみえ在家仏教徒でありはがら大乗仏教の思想を説いた女性。

まず展示されているその場所で目に入ってきたのが、像を拝んでおられる方が見えました。そして、その像が愛染堂の像であることに感動し、それが“勝鬘夫人”であることを確認してから、ようやく手を合わせていらっしゃった理由がわかったのでした。大乗仏教があるというありがたさ。“勝鬘経講讃図”を何点か見た後での登場だっただけに、“聖徳太子”、“大乗仏教”、“勝鬘夫人”が繋がってみえて、聖徳太子展を見ている実感で感動しました。

第4章 御廟・叡福寺と大阪の聖徳太子信仰 太子が眠る地

聖徳太子は、推古天皇三十年(六二二)に没すると、河内すなわち大阪南部に所在する、磯長陵(南河内郡太子町)に葬られました。陵前には太子を祀る叡福寺が建立され、一遍をはじめとする高僧が参詣し、太子に祈りを捧げています。また、太子が蘇我馬子に建立させた野中寺(羽曳野市)、物部守屋との合戦の地に建つ大聖勝軍寺(八尾市)は、叡福寺と合わせて「河内三太子」と称され、親しまれてきました。

河内三太子をはじめ、太子の事績にまつわる地が点在する、大阪における太子信仰に注目し、地域の祈りと融合した信仰のすがたを紹介します。

馬上太子像 伝 細川氏綱筆

桃山時代 十六~十七世紀 
大阪・叡福寺

叡福寺本は、弓矢と手綱を執って黒駒に跨がる童子形の聖徳太子像である。太子十六歳の時、排仏派の物部守屋との合戦の折の姿と考えられる。

西念所持四天王寺西門浄土信仰関係資料

供養目録 一巻 西念筆 紺紙金泥
供養目録 一巻 西念筆 紙本墨書
極楽願往生歌 西念筆 紙本墨書
馨 一個 平安時代

四天王寺西門が極楽浄土の東門に通ずるとする浄土信仰により、入水往生を試みた僧・西念が所持していた、自身が積み重ねた供養の目録と馨。

(1)の「供養目録」は、入水の際に西念が首にかけていたものと思われる。紺紙の料紙に金泥で、法華経の書写をはじめ、西念が四十年来行ってきた供養の詳細と願文が記される。
(4)馨は、西念が所持していたと思われる小さなもので、左部分が欠失している。

使われていたものであり、残っている姿の小さな“馨”。使われていた大切さが伝わってくるようでしみじみしました。

聖霊会(しょうりょうえ)

毎年4月22日、聖徳太子の命日を偲んで行われる、四天王寺の行事の中でも最も重要で大規模な法要。
四天王寺一山式衆の声明法要と天王寺舞楽が一体となった古の大法要を今に伝え、聖霊会舞楽は国の重要無形民俗文化財に指定されています。

“鳳輦(ほうれん)”、“聖徳太子童形半跏像”

聖霊会の行像・令和の太子像

松久宗琳佛所作
木造 像高72,6 
令和三年(2021) 大阪・四天王寺

毎年4月22日の聖霊会道行において用いられる輿で、鳳輦に聖霊院聖徳太子十六歳孝養像、玉輿に金堂の仏舎利を安置し、それぞれの場所から六時堂へ行道する。

聖徳太子千四百年御聖忌の記念事業として、四天王寺一心大神会ならびに四天王寺支院吉祥院塚原昭應師の寄進によって復興された聖霊会行像。

きれいな彩色をされた愛らしさを感じる像を間近で見せていただけたのは貴重なことと思いました。

法起菩薩曼荼羅図 清賢筆

室町時代 十五世紀 
大阪・高倉寺

法起菩薩とは『華厳経』に説かれる尊格であるが、日本では大阪と奈良の間に位置する金剛山の修験の菩薩として崇められた。本図では法起菩薩は三目六臂の忿怒相で武器を執り、台座上に立ち、向かって右に倶利伽羅龍と左にこんがら童子を従える。その下部には摂政姿の聖徳太子、右に高倉寺開基の行基、そして左に役行者と前鬼・後鬼が配されている。裏書から、法起菩薩=太子、俱利伽羅龍=行基、こんがら童子=役行者に対応するものとして描かれたことがうかがえる。

第5章 近代以降の聖徳太子のイメージ・・・そして未来へ つながる祈り

明治時代になると国家の礎を築いた政治家としての側面がクローズアップされます。紙幣にあらわされた笏を執る肖像は、現代における聖徳太子のイメージを決定づけたと言えるでしょう。

近代以降における太子のイメージをたどるとともに、脈々と歴史を重ねる四天王寺聖霊会の舞楽所用具など、現在の太子信仰ゆかりの作品を紹介します。

聖徳太子勝鬘経講讃図 巨勢小石筆

明治二十六年(一八九三) 
東京国立博物館

中世から制作されてきた「聖徳太子勝鬘経講讃図」という題材を、大和絵の濃彩を用いつつ近代的な手法で描いたもの。

日本銀行券 七枚

いわゆる唐本御影の聖徳太子像を肖像に採用した全七種の日本銀行券。

旧最高裁判所大法廷壁画 小下絵 堂本印象筆 3紙

昭和26年(1951) 
京都府立堂本印象美術館

裁判官席の後方向かって右に、幼い聖徳太子が母に抱かれる「間人皇后御慈愛」、左に「聖徳太子憲法宣布」、そして傍聴席側に、富士山を背景に黒駒に跨る「聖徳太子諸国巡遊」が配置されたもの。

聖徳太子像・二王子像(模写) 堂本印象筆

大正~昭和時代 二十世紀 
京都府立堂本印象美術館

唐本御影(法隆寺に伝来した聖徳太子の肖像画)の模写。仏教的要素が皆無なこのすがたが、近代以降広く流布されることとなった。

「日出処の天子」原画

山岸凉子作
カラー六紙、モノクロ十六紙

聖徳太子を題材とした漫画「日出処の天子」の原画。
主人公の厩戸皇子(聖徳太子)の少年時代から推古天皇の摂政となり遣隋使派遣を志すまでを描く。

図録

図録、エコバック、「日出処の天子」のクリアファイル

図録の表表紙は、「聖徳太子童形像・四臣像」
裏表紙は、「聖徳太子童形像・六臣像」

大阪市立美術館は、特別展(大規模な美術展)や、収蔵品の展覧会、全関西美術展、日展などを開催している、歴史ある大阪の美術館…

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