法輪堂 拝観日記
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紅葉の信貴山朝護孫子寺へ行ってきました。

【信貴山】
信貴山真言宗の総本山。
信貴山歓喜院朝護孫子寺(ちょうごそんじ)と号し、信(志)貴山寺ともいう。

 聖徳太子が物部守屋を討つためにこの山に来て戦勝を祈願すると、寅の年、寅の日、寅の刻(午前4時ごろ)に毘沙門天を感得し、その加護によって勝利を得た。太子はここに自刻の毘沙門天像を祀り「信ずべき、貴ぶべき山(=信貴山)と名づけたという。

 平安時代、醍醐天皇の病平癒に、修行僧命蓮の加持が効いたことから、「朝廷を子々孫々にわたり守護せよ」という意味で、「朝護孫子寺」の寺号を賜る。中興の祖、命蓮が起こしたこの奇跡は、絵巻「信貴山縁起」(国宝)に描かれている。



聖徳太子の御開基にして日本最初の毘沙門天王御出現の霊場

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世界一大福寅


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【信貴山と虎】

 今から千四百余年前、日本の国の平和を乱す朝敵物部守也を討伐するため、聖徳太子がこの山に来たり戦勝の祈願をされると頭上に毘沙門天王が出現され必勝の秘法を授けられました。奇しくも、その日は寅年、寅の日、寅の刻でありました。

 信貴山の毘沙門天王は虎に縁りのある福の神として、寅年、寅の日を縁日と定め大法要が行われます。

千手の公孫樹 仏手白果

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【千手の公孫樹(いちょう) 仏手白果(ぶっしゅはっか)】
樹令五百年 

木の枝振りが千手観音の手に似ているところから千手の公孫樹、仏手白果と名づけられた。中国産の品種で、日本では宮崎県高千穂の岩戸神社の境内にある一本だけとされていたが、昭和五十八年七月学者に偶然発見された。日本で二本目に極めて珍しい巨木である。


神木 楠の木 樹齢1千5百年

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【神木 楠の木】 

 今を去る一千五百年(西暦480年)の昔、日本の国は氏族制度で蘇我一族と物部一族が政治の実権を握るため争っていた時代。

 時にこの地に一粒の榧の実から若芽が誕生したのである。それはこの榧の木であった。

 それから百年後、蘇我馬子は仏教の普及に努力せんとしたが、物部守屋はこれに反対し双方の対立抗争はついに長く苦しい激戦となった。

 この時、聖徳太子は守屋討伐のため自ら陣頭に立ってこの地に進み毘沙門天王を感得され、その御加護で物部軍を降伏させ日本の仏教の栄える礎を築かれたのである。以来、樹齢一千五百年の神木榧の木は有為転変を語らんとするや、ひたすら黙して語らず。

弁天堂

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【弁天堂】

 弁財天が祀られているお堂です。


玉蔵院

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【浴油堂】

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【玉蔵院】
鎌倉時代、興教大師・覚鑁(かくばん)上人が参篭された時、毘沙門天より摩訶不思議な玉「如意宝珠」を授けられ、この寺に蔵められた。(その如意宝珠は本堂。戒壇巡り)

【浴油堂】
浴油堂(浴油堂でのおがみかた)とは昔から真言密教のいくつかの秘法の中でも最もありがたい秘法中の秘法。
明治の廃仏毀釈の折の荒廃より玉蔵院浴油堂に篭って秘法を修され今日の信貴山を再興。

【出世毘沙門天】 
護摩壇の左奥の出世毘沙門天

浴油法のご本尊(毘沙門天)は最極の秘仏ですがその功徳を描かれたお姿。



成福院

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【成福院】 
如意宝珠(如意融通宝生尊)  後嵯峨天皇が御念持佛とされていた
不動明王、弘法大師

本 堂

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【本堂正面扁額】
両側の百足(むかで)は毘沙門天王のお使い

【戒壇巡り】
覚鑁上人が納めたという如意宝珠がお祀りされています。

戒壇巡りで、心願成就を祈りました。

本堂真下の暗闇の回廊を、右手を右側の壁を当てながら進みます。途中、灯りがある格子の中に十二支の守り本尊が祀られていて、また進めると木の格子に鉄の錠前。この錠前に触れると、如意宝珠に触れたと同じ功徳が与えられるらしいです。

ずっと真っ暗で、手がかりは右手の壁のみ!手が冷たくて、つかむものもなく...。なんとか、ずっとお願いごとをしていたので、多分大丈夫だと思っておきます(笑)。

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ご本尊毘沙門天王を安置し奉る本堂は、
大和平野を一望に見渡し、大和川の流れを眼下にする
風光明眉な急崖に堂々と張り出した豪壮な堂宇である。

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本堂を出ると、もう境内は真っ暗になっていました。

この階段を降りて右側に【水屋】。
空鉢護法堂に水をお供の方は、この水を空鉢護法堂まで持っていきお供えするようです。

剱鎧護法堂

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剱鎧護法は毘沙門天王のご分身で、
病気平癒・延命長寿・無病息災・無魔成育に霊験あらたかな神様です。

醍醐天皇が重い病に罹られた時、高僧命蓮上人が勅命により毘沙門天王に病気平癒の祈願をされました。加持満願の日剱鎧護法の使者が天皇の枕元に出現されて、霊感を授けられるとたちまち天皇の病は癒され心安らかになられました。そこで、この地に剱鎧護法を当病平癒の守り本尊としてまつられ日夜勤行されました。


 

【朝護孫子寺】 (公式HP)

【空鉢護法堂の縁起】 (公式)

日本で最初に毘沙門天が安置された霊場といわれている神峯山寺に行ってきました。

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【神峯山寺 (かぶさんじ)】
根本山。天台宗。毘沙門天を本尊とする。
寺伝によれば、役行者小角が開山し、宝亀年間(770頃)に開成王子が創建したという。
 当時は仏教の聖地として、比叡山や葛城山と並ぶ7高山のひとつに数えられ、僧坊21・寺領1,300石に及んだ。皇室の崇敬が厚く、また足利3代将軍義満や豊臣秀頼の生母淀殿らの寄進も多く、大いに栄えた。秀頼も諸堂を造営したと伝えられる。本堂に安置されている阿弥陀如来坐像は、寄木造りで平安時代後期、また2体の聖観音立像は一木造りで同中期と後期の作とみられ、いずれも昭和25年8月に、国の重要文化財に指定されている。

日本で最初に毘沙門天が安置された霊場といわれており、本尊である毘沙門天、双身毘沙門天、兜跋毘沙門天。いずれも秘仏。

新西国三十三箇所第14番、役行者霊蹟札所、神仏霊場巡拝の道第64番。



仁王門と神峰山寺の紅葉

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仁王門は塗り替え中。
境内の紅葉は、きれいに色づいていました。

本 堂

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本尊は、毘沙門天。



鐘楼堂

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開山堂


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釈迦堂

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九頭龍滝

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古株に、

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花梨とカエデが古株にのせられていて、目を楽しませて頂きました。


化城院 毘沙門不動護摩

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車の中で神峯山寺に行くとなり調べてみると、
神峯山寺化城院で三千日連続護摩修行されていて、護摩法要に参加できると!

よいタイミングの時間だったことも幸いし、
毘沙門不動護摩 祈願2442日目、参加させて頂きました。

【化城院三千日連続護摩修行中】 平成22年2月28日より 

神峯山寺化城院では三千日連続護摩修行として、毎日、厄除・祈願の護摩を焚かれています。

護摩祈願を申し込むと、化城院堂内 内陣で護摩法要に参加できます。(毘沙門不動護摩の開始時間などは公式HPに案内あります。)

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神峯山寺の「毘沙門不動護摩」

昔より在家の神様であり、国を護る神様として信仰されてきた毘沙門天。 護摩の炎から不動明王を通じ、毘沙門天へ祈願をとどける。 今も昔も命を護り、国を護る


化城院の本尊は、不動明王。脇侍が梵天、帝釈天。

裏口から入り、護摩壇の真横に座らせて頂けるました。
扉を閉められた内陣で、燈明のあかりだけ。堂内は、三人きり。

本当は護摩だけに集中したらよかったのですが、
護摩壇が目の前で、密教法具が使われる様子を
最初から最後まで一通り、目にする経験。

仏具や法具が鳴る音。唱えられる声。
護摩に火が入り、火が消えるまで
ありがたい時間を過ごさせて頂きました。

ちょっと和んだことは、
偶然おりんの下のリン布団が古代縞布団だったことと、
終わった後に「靴の所にバッタがいるので気をつけてあげてください。」と言って頂けるエピソードがあったこと。終わりにバッタがいてくれたのが何だか安心しました。

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【神峯山寺】 (公式HP)





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"縁がなければ、たどり着けない場所"と言われているという天河神社。

そんなことを聞けば行って見たくなるものの、たどり着けるかどうか到着するまでドキドキでしたがすんなり無事到着できました。

【大峯本宮 天河大弁財天社】
天河神社の奥宮が鎮座する霊峰弥山は、大峯山系の中央に君臨し、荘厳幽玄な山容を持ち水の精、木の精、土の精等神々の鎮まる神奈備信仰の大元とされ宗教的霊山の第一に挙げられています。修験道開祖役行者は弥山において鎮護国家を祈念した時、天降る天女の神を弁才天と感得し、壺中である当社に歓請されたのが日本弁才天の初めとされます。

7世紀後半、大海人皇子は壬申の乱に際し、霊験あらたかな弁才天に戦勝を祈願し勝利を収め、壺中の琵琶山に天之安河之宮として社殿を造営、その後僧空海弘法大師等、貴顕高僧の参籠とする山内第一霊場となります。又、能楽との関係も深く、世阿弥摘男観世十朗元雅寄進の能面「阿古父尉」等能楽史上貴重な重要文化財が多く所蔵され、芸術芸能音楽の神としても篤く信仰されています。



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斎灯殿  千年の灯

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天 石

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【天石の云われ】
大峯弥山を源流とする清流は、天の川にそそがれ坪内(壺中天)で蛇行し、その形は龍をしのばせる。鎮守の杜、琵琶山の磐座に弁才天が鎮まり、古kより多くの歴史を有す。
この地は「四石三水八ツの杜」と言われ、
四つの天から降った石
三つの湧き出る清水
八ツの杜
に囲まれし処とされ、神域をあらわす。

その内三つの天石(一つ石階段右・二つ五社殿前・三つ裏参道下行者堂左)を境内に祀る。

五社殿

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【五社殿の御祭神】 

石段手前より
龍神大神       弁財天の化身なる龍神の神
大将軍大神      八つの社の内森本神社ご祭神
大日めの貴神    天照大御神の御別名
天神大神       菅原道真公
大地主大神      琵琶山地主守神


拝 殿

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神宝「五十鈴(いすず)」

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【神宝「五十鈴(いすず)」】 

正式には、神代鈴(しんだいすず)。
数千年前から天河大弁才天社のみに残されている青銅製でつくられたもの。歴史的には、天照大御神が天の岩戸にお隠れになった時に、天之宇受売命がこの五十鈴のつけられた矛をその手に持たれ、大地を踏みしめて聖なる舞いを舞い、大神を外にお連れし、再び生きるに値する光の世に戻ったとされます。

参拝の際お鈴を鳴らす時、綱は前後に動かさず、鈴を止めた状態で円を描くように綱だけ回して下さい。



天照大神が岩戸に隠れた神話。岩の扉の前で天之宇受売命が舞を舞った時に手に持っていた五十鈴。

円を描くように綱を回すというのが加減がわからず、そろりそろりとやってみました。

境内もですが、特に拝殿に入ると神聖な空気感が心地よくしばらく過ごさせて頂きました。


 

天河神社から少し歩いたところに『天河大弁才天禊殿』があります。

禊殿 (みそぎでん)

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大水害の後、古文書が発掘され
日本最古の御山であることが記されていました。

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【高倉山 御祭神 経津主神 宇迦之御魂神 国之常立神(別名 ガイア神)】

高倉山は二億五千万年前日本列島に最初に隆起された神奈備であり日本最古の御山(磐境)であります。弁財天女の鎮まります琵琶山と共に仰ぎ尊び奉られた聖山であります。
神武天皇が天河社琵琶山に祈られた時に ヒノモトと言霊を奉上され日本と命名された重要な斎庭であり、高倉の御山は経津主神の鎮座地として布津御魂の剣 神宝を奉り全ての天災 地災 人災を鎮め申す御威稜を賜る大神様であられます。 

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『ヒノモトと言霊を奉上され日本と命名された』とあります。

『ヒノモト』。ひ‐の‐もと。日の本。







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