法輪堂 拝観日記

法灯のある比叡山延暦寺

今年の京仏師さんの取材で、延暦寺と円仁さんのお話をたくさん聞かせていただきました。夏季休暇で自然にふれた時間を過ごしたいと思うたびに、何故だかしぜんに滋賀方向の山が思い浮かぶのです。琵琶湖でゆったりした後、延暦寺に行かせていただきました。

浄土院の澄んだ静かな空間。静かな中に音が聞こえた法華堂。異世界を目の前にしているような法灯がある根本中堂。ゆったり時間をかけて延暦寺をまわらせていただきました。

「宗祖 伝教大師 御生誕一千二百五十年」 平成二十八年八月十八日。
「恵心僧都 一千年御遠忌」 平成二十八年六月十日。

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比叡山延暦寺
天台宗の総本山。開創者は伝教大師最澄。
最澄は比叡山に入って草庵を結んだ3年後の788年(延暦7)、山上に自ら刻した薬師如来を安置した小堂(一乗止観院といわれた)を営み、比叡山寺と名づけた。

その後、慈覚大師円仁や智証大師円珍あるいは慈恵大師良源らの名僧を輩出。総合大学とでも称すべき教育機能をそなえていった。平安末期以降、延暦寺から鎌倉新仏教の祖師、法然・親鸞・栄西・道元・日蓮らが相次いで巣立っていった。

延暦寺は朝貴族からの寄進を受けた巨大な荘園領主であった。その権益を守るために武装した僧(僧兵)があらわれ、中世には大名並みの武力を擁するようになった。1571年(元亀2)に織田信長に敵対する勢力と勢力を結んだため、信長の焼き討ちにあい、甚大な被害をこうむった。信長横死のあと、豊臣秀吉・徳川将軍家光が相ついで保護を加え、近代に入っても復興への営みが続けられ、延暦寺は旧観を回復した。内は1994年(平成6)に世界文化遺産に登録された。

山内は1994年(平成6)に世界文化遺産に登録された。


 

横川(よかわ)地域

龍が池(赤池) 龍が池弁財天女

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【龍が池弁天と龍神さま】
元三大師と大蛇の物語が伝わっています。

昔、この池に大蛇が住みつき毒気をはいて修行僧や村人に害を与えていました。元三大師はこれを知り、大蛇に向かい「汝は身を自在に変化させる不思議な通力を持っていると聞くが本当か?」とお尋ねになると、「本当だ俺にできないことはない。」と答えました。そこで大師は「大きい姿になってみよ」と申されると、大蛇は数十倍の大きさに変身しました。大師は再び「では小さくなり私の手の平に乗れるか」と申されると小さくなり手の中に入りました。そこで大師様はすぐさま観音様の念力により閉じ込めてしまわれました。そこで弁天さまをここにお迎えして祀られ、小さくなった大蛇を弁天様の侍者とされました。大蛇は大師さまに諭され、前の悪行を悔い改め、今後は弁天さまのお使いとして「龍神」となり、自分の神通力を善業に向け、横川の地に訪れる人々の道中の安全と心願成就の助けをするとこを大師に誓いました。

別名「雨乞いの弁天さま」としても知られ、龍神さまとともに霊験あらたかな法力により私たちを守護くださり後利益をいただくことができます。



道元禅師得度霊跡

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元三大師堂(四季講堂)

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【四季講堂(元三大師堂)】
第18代天台座主として十九年間在職され、延暦寺中興の祖として仰がれる慈恵大師良源(元三大師)の住房であった定心房の跡をついでいるお堂で、村上天皇の勅命によって春夏秋冬の四季に法華経の論議が行われたので四季講堂の名があります。また、はじめは弥勒菩薩を本尊としていましたが、いまは元三大師の画像を本尊としてお祀りして大師信仰の根本道場となっているので、元三大師堂の房名でも呼ばれ、親しまれています。



【元三(慈恵)大師】
元三大師は、僧名を良源大僧正(912~985)という。近江の人で比叡山第18代目の庵主に昇り、この間二十年にわたり比叡山の教義を確立し、学問を高め、荒れていた比叡山を復興し、横川の地で幾多の弟子を育てられ比叡山後世中興の祖と仰がれている。門下三千人といわれ、この中からはわが国浄土の祖といわれる恵心僧都(源信)慈忍和尚(尋禅)覚運、覚超といった名僧等を数多く輩出された。常に横川の地に住し、法力、霊力の持ち主としても知られ、常に護法の権化として人々の魔を除き、家庭の厄除けや農業における五穀の農作の守り神として今日も広く信仰を集めている。
また大師は、全国いたるところに使われている「おみくじ」の元祖としても知られる。
元旦の三日にお亡くなりになられたので、元三大師と称されている。

おみくじ発祥の地の石碑がありました。
四季講堂内で他の方に説明されているのをお聞きしていたのですが、こちらのおみくじは普通のおみくじではなく、岐路でどちらにするか迷っている場合などの方がされるといいもので、僧侶が時間をかけて選ばれる(?)特別なおみくじだというようなお話でした。
こちらでの腕輪念珠は、穴を除くと元三大師のお姿が入っていています。

箸塚弁財天

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横川中堂

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【横川中堂】
新西国観音霊場 第十八番
びわ湖百八霊場 百八番(結願)

首楞厳院と称し、横川の中心となる大堂です。
第三世慈覚大師円仁上人が、嘉祥元年(848)に開創し、本尊に聖観音を祀った以来豊臣秀頼と淀君の再建したお堂は雷火で焼失しましたが、幸いに本尊聖観音は災火を免れ、昭和46年伝教大師入滅千百五十年遠忌の記念として、当時を偲ぶ朱塗の美しい舞台づくりが復元されました。


護法石

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【護法石】
鹿島明神、赤山明神影向へ古記・霊跡 影向石に日わく両明神共に比叡山延暦寺の守護神である。
特に赤山明神は比叡山東麓の守護神日吉山王に対して西麓の守護神である。



【慈覚大師円仁(794~864) 天台宗延暦寺 第三世座主】
十五歳の時比叡山に登り、伝教大師に師事して天台の教えを学んだこの横川の地に隠棲して草庵をむすび四種三昧をおこし、根本如法塔を建てるなどして横川の基をさだめた。その後入唐のおりに悪風にあって海に大師を没せんとするとき大師は観音力を念ずると、観音菩薩が現われたちまち風晴れ浪平らいだという。帰山ののち一堂を建て観音様をお祀りしたのが横川中堂の始まりとされている。また大師はこの地の霊泉を汲んで法華経の書写を志された。



【恵心僧都(源信)(942~1017)】
平安中期の比叡山の僧侶で日本浄土教の基礎を築いた人である。横川の元三大師に師事し恵心院に住し修行にまた著作に従事したので恵心僧都と稱される。「往生要集」を著しはじめて浄土教学を体系づけたのは画期的な事業であった。「往生要集」には人間界の因果によってそれぞれ次の世界(さまざまな地獄から天上界まで)に生まれかわりそれぞれの報いを受けると解きまたただひたすらに南無阿弥陀仏と唱えることによって救われると解いた。



西塔(さいとう)地域

止観道場

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釈迦堂

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【釈迦堂】
延暦寺山内に現存する最古の建築物で、1347年(貞和3)の建築。もと園城寺(三井寺)中院の弥勒堂であったが、豊臣秀吉の命により移建された。内陣には秘仏釈迦如来立像が安置されている。



にない堂(常行堂・法華堂)

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【にない堂】(重要文化財)
常行堂と法華堂という同じ形の建物が渡り廊下で繋がっており、これを天秤にして弁慶が担いだという伝説から、二つのお堂を合わせて俗に「弁慶のにない堂」と呼ばれています。法華堂は普賢菩薩を、常行堂は阿弥陀如来を安置する。


法華堂の近くに看板が立てられており、静かな中に時々音が響いてきました。


吉田兼好『徒然草』より

第二三八段
三搭巡礼の事侍りしに、横川の
常行堂のうち、竜華院と書ける
ふるき額あり。


浄土院(伝教大師御廟)

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【浄土院】
伝教大師のご廟所で、比叡山で最も清浄な聖域。弘仁13年(822)に入寂した大師は、この地に埋葬された。ご廟を守る僧は侍真と称され、厳しく戒律を守り、12年間籠山の誓いをたてて行に励み、大師に仕える。


親鸞聖人御修行の地

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ちょうど石碑の横がスポットライトが当たるかのように太陽の光が当たっていました。



東塔(とうどう)地域

栄西禅師 御修行の地

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東搭地域の駐車場に看板がありました。

阿弥陀堂

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【阿弥陀堂】
本尊 阿弥陀如来。


大講堂前の案内看板に阿弥陀堂に水琴窟と書かれていて楽しみにしていたのに...水琴窟を見てくるのを忘れてしまいました。

東塔

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搭の扉を閉められる時間となっていたらしく、ほんの少し開けて見せてくださり仏像を拝ませていただけました。

戒壇院

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【戒壇院】(重文)
僧侶が大乗戒(規律)を受ける比叡山中で最も重要なお堂で、わが国にはじめて大乗戒担院を建立すべく、心血をそそがれた伝教大師の没後七日目に勅許を受け、天長五年(828)第一世義真座主により創建されたお堂であり、内陣に得戒和尚釈迦牟尼仏と文殊、弥勒両菩薩が祀られ、年に一度授戒会が行われます。



大講堂

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【大講堂】
本尊 大日如来。
左右に比叡山で修行した各宗派の宗祖の木像が祀られています。


根本中堂(総本堂)

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【根本中堂】
神仏霊場 百五十番(結願)
西国四十九薬師霊場 四十九番
西国三十三観音霊場 番外
東海四十九薬師霊場 特別札所
播州薬師霊場 特別札所

正式の名は、一乗止観院、あるいは根本大乗止観院。
開祖最澄が比叡に入山して3年後に創建した小堂から発したものである。
中央に薬師如来、その北側(向かって右)に毘沙門天、南側に開祖最澄をはじめ祖師たちがまつられている。

【不滅の法灯】
最澄は比叡山中に一乗止観院を創建しており、火をきりだして本尊薬師如来に灯明を捧げた。これが延暦寺の「不滅の法灯」で、今は根本中堂内陣にゆらめいている。信長の焼き討ちを受けいったん途絶えたが、山形県の立石寺に分火してあった法灯の火を移して、今日まで連綿と伝えられたという。

この入り口から中は撮影禁止です。周りの廊下を歩いて堂内へ入ると、堂内は暗くそして扉の向こう側の法灯の灯りが。しっかり起きていながら異世界を目の前にしているような不思議な空間でした。他の参拝の方のお邪魔になってはいけませんので浸る前に離れましたが、浸ることができればどうだったでしょうか?隅っこでも眺めていたかったのが本音です。

実は前から自分用の木製の腕輪念珠が欲しいと思っていたのですが決めきれずにいたのです。延暦寺に着いてからその気持ちが大きくなり、元三大師堂ででもかなり迷ったのですが、根本中堂では珠の中に薬師如来像のお姿が入っていました!まさに今まで探していたこの腕輪念珠だったのかと、出会いに感動でした。ご本尊が薬師如来だからと言われればそれまでなのですが、自分の中には薬師如来への思いは特別なものがあって、出会うごとに何故かようやく会えたと思う感情をいつも持つです。今まで待って、たどり着けて出会えてよかったです。


宮沢賢治の歌碑

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【宮沢賢治の歌碑】
ねがはくは 妙法如来 正
へん知
大師のみ旨 成らしめたまへ

熱心な法華経の信者であった宮沢賢治。根本中堂を目の前にして「どうかみ仏のすばらしいお知恵によって、伝教大師が日本に天台の教えをひろめられ、国の平和を守りたいと祈られたみ心にあうよう、どうかみ仏の加護をいただきたい」との意味を込めた歌を詠みました。

文殊楼

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延暦寺では慈覚大師円仁が唐から帰国後、山内に文殊楼を建てて五台山文殊を安置したが、これをきっかけにわが国の文殊信仰は盛んになった

法然上人御修行の地青龍寺

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延暦寺は3地域あり、地図で場所を確認して行きたい所に向かって歩かないと、通らずに帰ってしまうと残念なので1回ごとにチェックしながら歩きました













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