法輪堂 拝観日記

『高野山の名宝』展 あべのハルカス美術館

高野山の名宝


高野山開創1200年記念
高野山の名宝

2015年1月23日(金)~2015年3月8日(日)
あべのハルカス美術館

弘仁7年(816)、弘法大師空海は密教修行の理想の場所として高野山の開創に着手。空海は真言密教の基盤を作り、承和2年(835)永遠に人々に救いの手を差し伸べるとの誓いを立てて入定されました。千二百年の時の蓄積、山の正倉院とも例えられるわが国最大規模の仏教芸術の宝庫を形成した高野山。高野山の至宝約60点の展示。


高野山の名宝 両界曼荼羅

チケット売り場横に、両界曼荼羅と護摩壇がありました。


高野山の名宝

1章 大師の生涯と高野山

高野山に伝わる空海の遺品や、密教美術の原点ともいえる請来の品、高野山開創に関わる宝物。

・【弘法大師坐像(萬日大師)】
・国宝【諸尊仏龕】
・国宝【聾瞽指帰】(空海筆)
・重文【高野大師行状図絵】
・重文【四天王独鈷鈴】



【弘法大師坐像(萬日大師)】
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顔を左に向けている弘法大師坐像。
ある行者が30年約1万日毎日この像に詣っていたいたところ夢に大師が現れ東を向いた。夢から覚め像を見ると像の顔が左を向いていたという。


1万日毎日欠かさず...弘法大師像のエピソードを聞きながら180度ぐるりと見せて頂きました。穏やかな空気に包まれた始まりとなりました。


国宝【諸尊仏龕】
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『御請来目録』に記される、密教をインドから中国に伝えた金剛智から不空、恵果そして空海に伝えられた密教の正当な継承者であることの証となる「阿闍梨付嘱物」の一つ 白檀製仏龕。インドの仏塔のような半球形。開くと中央に釈迦如来坐像、右に観音菩薩半跏像、左に弥勒菩薩半跏像。



重文【丹生明神像・狩場明神像】
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真言密教の霊地にふさわしい土地を踏鎖していた空海は、黒白二頭の猟犬を従えた狩場明神に遭遇。導きで高野山麓の地に至る。そこで紹介された高野山の地主神 羽生明神の導きで高野の霊地を得たという。
狩人姿の狩場明神と、宮廷女性十二単姿の丹生明神。狩場明神には金剛界大日如来、丹生明神には胎蔵界大日如来を表す梵字が示されている。


高野山開創のエピソードをしっかり教えて貰えることになる掛軸。日本らしさを感じるものでした。


重文【金剛峯寺根本縁起】
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空海が密教の根本道場を高野山に開創するにあたり地主神である丹生都比売明神から広大な寺領を譲り受けた経緯、その範囲を示す絵図が記されている。
本縁起の原本は空海自ら記し、これに御手印を捺印した『弘法大師御手印縁起』。
【展示】⇒ 後醍醐天皇は高野山行幸の際、飛行三鈷杵と本縁起を拝見され、本縁起は空海の自筆による高野山の結界を示す大切な縁起であることから門外不出とし、写しの巻末に自らの手形を捺印しこれを正文とした。


国と天皇と仏教の関係とかかわりの深さを感じるもので心に残りました。空海直筆の縁起は門外不出が護られ続けているのですね。


高野山の名宝

2章 高野山の密教諸尊

密教の教えは奥深いので、文字だけではなく絵画や彫刻などを用いることが理解の助けに制作された仏像・仏画。

・重文【大日如来像】
・国宝【五大力菩薩像のうち金剛吼菩薩像】(竜王吼菩薩像/無畏十力吼菩薩像)
・重文【孔雀明王坐像】(快慶作)
・重文【不動明王坐像】




重文【板彫胎蔵曼荼羅】
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板彫りで表した胎蔵曼荼羅で、甲面は白檀、乙面は桜材。乙面の背面には把手が付いており、把手を持ちスタンプのように香煙や砂に捺す印仏と呼ばれる密教修法で用いる法具とわかる。唐からの請来品と考えられる。



香煙・砂に押された印仏、見てみたい気がしました。


重文【成身会八葉蒔絵厨子】
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上記「板彫胎蔵曼荼羅」甲面を収めるものとして伝わった厨子。
春日厨子形式。黒漆塗として金の研ぎ出し蒔絵で図様を描く。一枚目の扉表には一対の金剛力士像、その裏には諸尊を梵字の一字で表現した法華曼荼羅で表す。二枚目の扉正面には「無量倶胝却/所作衆罪業/見此曼荼羅/消滅尽無余」と記し、その裏には梵字で金剛界曼荼羅成身会を表す。
両扉とも開くと、向かって右に法華曼荼羅、左に金剛界曼荼羅の成身会が対でみえることになる。逆に閉じた状態では、中に納める板彫胎蔵界曼荼羅と金剛界成身会曼荼羅が向かい合って両界曼荼羅を構成し、その上に法華曼荼羅が重なって、それらを表で金剛力士が守護するという厨子の構造を生かした重層的な表現となる。


繊細というよりも、味があるタッチの金剛力士像の蒔絵。厨子の作りをいかした表現が素晴らしいと思いました。



国宝【八大童子像】 木造彩色
烏倶婆が童子像・清浄比丘童子像・恵喜童子像・矜羯羅童子像・制多伽童子像・恵光童子像(運慶作)
阿耨達童子像・指徳童子像
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高野山不動堂本尊として平安時代後期の不動明王像とともに祀られてきた。


運慶作。お顔の表情が息づいているかのようでその場から離れがたく思いました。
写真で見るよりも柔らかいお顔の印象を受けました。



重文【孔雀明王坐像】 (快慶作) 木造彩色
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高野山孔雀堂の本尊。
わが国の孔雀明王像は空海がもたらしたとも制作にかかわったともされる「大師様」と呼ばれる図像。後補である持物などを除けば、そのずぞうにがっちするものである。


端整なお顔と彩色で華やかですが、全体のバランスが素晴らしく、なかでも光背にも思える孔雀の尾。圧倒されました。


高野山の名宝

3章 多様な信仰と宝物

篤い信仰の歴史が生み出した多様な仏教美術。

・重文【執金剛神立像】快慶作
・国宝【澤千鳥螺鈿蒔絵小唐櫃】
・重文【花蝶蒔絵念珠箱】




重文【四天王立像】(快慶作) 木造彩色
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高野山六角経蔵に、執金剛神・深沙大将立像とともに伝来した像。
広目天像は快慶の陰刻銘がある。
大仏殿四天王像造像に先立ち、重源が後鳥羽天皇に大仏殿像の十分の一の大きさに当たる四尺の像を雛形として供覧しており本四天王像がそれに当たる可能性がある。今はなき東大寺大仏殿四天王像が偲ばれる。



四天王すべてではないようですが、大仏殿の四天王像の雛形。雛形でこの完成度で、このように高野山でまつられていることを知り、それだけ重要な像を作る段階があるのはすごいことだと思いました。

高野くん
高野山の名宝 三鈷杵

こうやくんと、吉野蔵王三鈷杵。
空海が「密教を広めるに最適の地を示したまえ」と祈り空中に投げた三鈷杵が、高野山の御影堂前の松の枝にかかっていた「飛行三鈷杵」。型を起こし桜の霊木にて調製された撫で三鈷杵。





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