法輪堂 拝観日記

京都 神護寺 拝観日記


京都 神護寺に行って来ました。


真言宗別本山 高雄山 神護寺
本尊: 国宝薬師如来立像
西国四十九薬師霊場 第四十四札所


高雄山寺で最初に灌頂をおこなった最澄が
恵果直伝の本格的な両部の灌頂を、最澄も空海から受けました。

神護寺は、空海ゆかりの寺であると同時に、
伝教大師最澄に縁のある寺でもあります。

神護寺 道


平安京造営に尽力した和気清麻呂の墓を置く和気氏の私寺でした。
唐から帰朝した最澄が日本初の灌頂壇を開き
空海が住持して真言密教を広める拠点とするなど
平安時代の新仏教発展に大きな役割を果たしました。

空海により日本で最初に本格的な密教の灌頂が行われた。

この坂道を登っていくところですが、大木が倒れ通行止めとなっているので
車両専用道から登ることになっていました。

人気もまったくなく、近くに建物がありそうな気配のない急な山道。
駐車場の方に教えて頂いた道を信じて登っていきました。

神護寺 山門

見上げると、太陽の光が差している神護寺の楼門が。
人気がなく突然現れたように辿り着いたので感動的でした。

灌 頂

山門横に「灌頂」の文字が。

神護寺 灌頂


灌 頂
灌頂とは師匠から弟子に直接伝えられる密教の特別な儀式。
唐から帰られた弘法大師が高雄山寺(現在の神護寺)で
弘仁三年(八一二)に伝教大師最澄らに授けられた記録が現在も残されている。


神護寺 案内図

明王堂

神護寺 明王堂


明王堂
神護寺に安置されていた弘法大師御作の不動明王は、
天慶三年(940)に平将門の乱を鎮圧するため、 寛朝
僧正が関東に出開帳された。その地にこの不動明王を
ご本尊として成田山新勝寺が建立された。

現在の明王堂のご本尊は平安時代後期に神護寺にお
さめられたと考えられる。明王堂の扁額は七代目市川
團十郎の揮毫である。

和気清麻呂霊廟

神護寺 和気清麻呂霊廟

和気清麻呂が河内国(大阪府)に建てた神願寺を
天長元年(八二四)この地に移し、空海(弘法大師)
が住持となって神護国祚真言寺と改称した。

鐘 楼

神護寺 鐘楼

鐘楼にかかる銅鐘(国宝)
名鐘「三絶の鐘」が吊るされています。
875年平安前期を代表する梵鐘。

有名にしているのは銘文で、
序文の詞は橘広相、銘は菅原是善、書は藤原敏行と、
3人の文化人の手になるところから「三絶」とされています。

橘広相は『古今和歌集』に
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風の音にぞおどろかれねる」
とのこす。

五大堂

神護寺 五大堂

大師堂

神護寺 大師堂

神護寺 大師堂

大師堂(重要文化財)
桃山時代に再建されたもので納涼坊といって、
もと空海の住坊であったと伝える。

毘沙門天堂

神護寺 毘沙門天堂


毘沙門天立像(重要文化財)を安置。


金堂

神護寺 金堂

現れた石段。
その上に少し屋根が見えています。
「あの上に金堂か...」
もうひと踏ん張り、登ります。

来ました。見えました。金堂です。

神護寺 金堂


国宝【薬師如来立像】 奈良~平安時代
道鏡が皇位を狙った事件に際し、和気清麻呂が
宇佐八幡宮の神託を受けて建てた神願寺の本尊といわれてきた。
また近年では、もともと当地にあった高雄山寺草創期の本尊という説も。
仏師は榧の原木のもつ生命力にノミをふるい、霊力にあふれた像を刻みだした。

春日厨子の中の薬師如来像を中心に、両脇に脇侍(きょうじ)の
日光菩薩・ 月光菩薩像(ともに重文)を安置。
その左右に十二神将像各6体と四天王像各2体が並んでいます。
室町時代の作。


お寺の方から声をかけて頂け、近くまで行って見せていただけました。

薬師如来像は下からライトが当たっていることもありますが、
大きさだけでなく体格そしてお顔...見上げるのも一瞬なぐらい
ただならぬ気迫がありました。

金堂内には、下記の神護寺の国宝の模写がありました。


【高雄曼荼羅】
灌頂の儀式でかならず曼荼羅が用いられる。
空海がわが国にはじめてもたらした金剛界・
胎蔵界の両界曼荼羅を根本曼荼羅という。
その現存最古の写しが神護寺に伝来する
「両界曼荼羅(高雄曼荼羅)」(国宝)。
作品中、最古最大。(各幅約4m四方)


【灌頂暦名】空海直筆

【伝源頼朝像】
平安末期に文覚が後白河法皇・源頼朝らの
援助を得て 荒廃した神護寺の復興を果たした。

多宝塔

神護寺 多宝塔


五大虚空蔵菩薩坐像を安置。

仏像などを見させて頂けたのは金堂のみでしたが
神護寺の空気にふれることができて大満足です。



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