法輪堂 拝観日記

『国宝 醍醐寺のすべて』で聖教にふれる


醍醐寺文書聖教7万点 国宝指定記念特別展
国宝 醍醐寺のすべて-密教のほとけと聖教-

平成26年7月19日(土)~9月15日(月・祝)
奈良国立博物館

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平成25年に69378点に及ぶ醍醐寺文書聖教が国宝に
指定されたことを記念し、醍醐寺の歴史と美術をたどる特別展

奈良国立博物館での
『国宝 醍醐寺のすべて』に行って来ました。


博物館前の蓮

この間、来た時にはなくなっていた博物館の前に蓮が復活していました。
再会できたかのような嬉しい気分になって玄関に向かいました。


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玄関前に餅上げの紅白餅

醍醐寺の「五大力尊仁王会」の旗と餅上げの紅白餅の展示がありました。

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醍醐寺最大の年中行事と知られているそうです。

第1章 醍醐寺のなりたち -理源大師聖宝-

貞観16年(874) 聖宝理源大師が開創。
聖宝は東大寺に東南院を開き、醍醐寺では
真言宗とならび三論宗が学ばれた。

【理源大師坐像】 (重文) 木造 彩色 鎌倉時代
 上醍醐開山堂(御影堂)本尊として安置
理源大師聖宝の等身大の肖像彫刻。
聖宝の生前に聖宝の弟子観賢が造らせたものと伝わる。



醍醐寺開創にまつわる醍醐水
【醍醐寺縁起】 (国宝) 紙本 墨書 江戸時代
 笠取の山頂に現れた翁が湧き出ずる水を口にして
「醍醐味なり」と称賛し、「仏法を広めるならば、この
地をあなたに献じ守護しよう。」と告げた。その翁は
地主 横尾明神であった。と『醍醐寺縁起』は伝えています。


その醍醐水は、ペットボトルで販売されていました。



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【五獅子如意】  (重文)犀角製 銀装 金銅装 平安時代 
 東大寺東南院に伝えられた如意。東大寺東南院の初代院主が聖宝。
 
如意-説法・講演・法会などにおいて講師が威儀をととのえる儀式用具
東大寺東南院に伝えられた犀角製の如意。
魚々子地に宝相華文をあらわした金具を取り付け、
柄には獅子文と三鈷杵文を鋲留めでかざる。
寛平法皇(宇多天皇)がこの如意をつくらせ聖宝に与え、
聖宝の遺誠により南都三会の講師を勤める人が必ず持つべきものとされた如意。

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【薬師三尊】(国宝)
 薬師如来 日光菩薩 月光菩薩
木造 漆箔 平安時代
醍醐寺開基の聖宝が勅により
延喜7年(907)に造り始め聖宝の弟子 会理 作。


第2章 密教寺院のすがた

義密教は多面多臂に代表される代表される新しい尊像、
様々な願いに応じる密教修法といった、それまでの日本
仏教にない要素により信仰を集める。
醍醐寺は、平安時代の貴重な仏教彫刻や絵画を伝える密教美術の宝庫。

【五重塔初重壁画両界曼荼羅図】 (国宝) 平安時代
 下醍醐の東に位置する五重塔
初重内部は、両界曼荼羅の諸尊や
真言八祖像、宝相華文などで荘厳されている。
平安時代半ばに遡る貴重な板絵
 



鎮護国家のため五大明王
【五大明王像】五大堂安置 (重文) 木造 彩色
 醍醐天皇御願により、延喜7年(907)聖宝によって
薬師堂の薬師如来及び両脇侍像と共に制作が始められる。
五大堂の焼失で、五大堂創建当初の像は大威徳明王騎牛像のみ。
金剛夜叉明王立像は、頭部が鎌倉時代、体部が江戸時代。
 不動・降三世・金剛夜叉の像内から墨書銘が発見され
運慶の後裔である七条大仏師 康正が修復したことが判明。

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(写真 上 左から)
不動明王坐像・降三世明王立像・軍荼利明王立像

(写真 下 左から)
大威徳明王騎牛像・金剛夜叉明王立像


今回、上醍醐の五大明王像が 初めて揃って山から下りられると、
博物館の看板でも期待が高まります。

最初に踏み入れた展示会場の第1章の部屋から五大明王の部屋が
チラリと見えるよう配置・区切りとなっており、行き来が可能です。
しかし、横にしながら順番にまわりました。

五大明王の部屋は、スペース大きくとられており
間近で1体1体見るより、少し後ろにひいた状態で
5体を一緒に見せて頂いた方がただならぬ迫力を感じ贅沢なひとときでした。



【金銅九鈷杵】 (重文) 銅製 鋳造 鍍金 中国宋~元



【金銅五鈷鈴】 (重文) 銅製 鋳造 鍍金  鎌倉時代
鈴身には大日如来を除く胎蔵界四仏の種字が陽鋳されている。
(鈴自体が大日如来を示す。)

第3章 密教の祈り -修法と本尊画像-

人様々な願いを叶え、災いから人々を守る修法。
それぞれの修法のために多くの密教尊像が描かれた。

【五大尊像】 (国宝) 絹本著色 鎌倉時代
 鎮護国家を目的とする仁王経法や、息災・増益・調伏のために
修する五壇法の本尊として懸用される。



【地蔵菩薩像】 (重文) 絹本著色 鎌倉時代
 宣字形の台座の上に坐す僧形の地蔵菩薩像。
地蔵の左肩付近から雲が伸び、雲上に餓鬼・
阿修羅・天・人・馬(畜生)・地獄の死後に輪廻
する六つの世界(六道)が描かれている。

第4章 白描図像の世界

尊像の姿は、さまざまな経典、先例や口伝などをもとに造り上げ
られるもので、宗派・流派が細かく分れるにつれ、それぞれ独自
の尊像もつくられるようになった。

【五大尊像】 (国宝) 絹本著色 鎌倉時代
 鎮護国家を目的とする仁王経法や、息災・増益・調伏のために
修する五壇法の本尊として懸用される。

第5章 受け継がれる教え -三宝院流の相承-

【聖 教】
密教修法の手順や道具等をまとめた書物、記録、師の口伝。

真言宗では、仁和寺を中心とする広沢流と醍醐寺を中心とする小野流が成立する。
醍醐寺三宝院を拠点とする三宝院流は、小野流の中心。

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醍醐寺三宝院本尊
【弥勒菩薩坐像 快慶作】 (重文) 木造 金泥塗・截金 鎌倉時代
 建久3年(1192)8月5日に醍醐寺座主勝賢が発願し
「巧匠アン(梵字)阿弥陀仏」すなわち仏師快慶が造立をはじめ
同年11月2日に供養された。
 高髻を結い、宝冠を戴く菩薩形にありながら
如来のごとく納衣を通肩にまとう特色。
両手は腹前で定印を結んで五輪塔を載せる。
 ヒノキ材の寄木造りで、玉眼を嵌入。
 快慶最初期にして随一の傑作。


醍醐寺展の看板やチラシにこの快慶作 弥勒菩薩坐像があり
背景が箔の金色で華やかなイメージができていました。

しかし実際の像は、端正なお顔はそのまま以上ですが
像の周辺一帯がとても静かな空気が流れているように思いました。
パッと目をひくというより、静かにそこにいらっしゃるという感じでした。

第6章 醍醐寺と修験道

山林で修業する僧侶の活動は奈良時代から確認される。
修行地として大和を中心とした畿内諸寺の修験者は、
先達と呼ばれる熟練者が主導する独自の組織をつくった(当山派)。
当山派は、大峰修行を再興したとされる聖宝を祖と仰いでいる。

【理源大師像】 (国宝) 絹本著色 江戸時代
鎮護国家を目的とする仁王経法や、息災・増益・調伏のために
修する五壇法の本尊として懸用される。



【大斧】 木製 漆塗 青貝 江戸時代
役行者像では前鬼の持物が斧。
大粒の青貝を敷き詰めた柄。
頭部は木製で漆塗、筋の部分と内側は朱塗りを施す。
儀式用であることが明確に示された作例。



【大錫杖】 江戸時代
長さ6尺に至る大型の錫杖。
木製の絵に青貝を散りばめて装飾される。
輪の部分に五弁花形に形つくられ
輪頭に五輪塔を奉安。

第7章 繁栄の歴史 -秀吉と「醍醐の花見」-

天皇・貴族・武士の帰依を受けてきた醍醐寺。
賢俊は足利尊氏を支え
足利義満ら三人の将軍に信任された満済
義演は、豊臣秀吉から手厚い保護を受け
寺の整備が進められた。

義演は、醍醐寺の古文書・聖教を調査し
現在に伝わる形に整理した人物。

【天長印信 後醍醐天皇筆】 (国宝) 紙本 墨書 南北朝時代
 後醍醐天皇筆の「天長印信」の写本。
天皇に近侍していた醍醐寺僧の弘真に賜ったもの。
 印信とは、密教において師から弟子へ秘法を伝授された際に与えられる証書の文書。
「天長印信」は日本真言密教の祖である弘法大師空海が天長3年3月5日に弟子の
真雅に与えたとされる印信。
醍醐寺においては、付法の象徴として歴代座主に相承され、写本も作成された。



【義演像】 絹本著色 江戸時代
二条関白晴良の息 第80代座主義演。
二条家は摂政・関白につく家柄であり
豊臣秀吉が関白となる際に義演の実兄がこれを就任。
二条家の血をひく義演は、院主を務めていた金剛輪院へ秀吉から支援を受けていた。
義演の編纂した醍醐寺に関わる膨大な聖教や記録の類聚である『醍醐寺新要録』は
今日における史料的評価も高く、近世醍醐寺における重要人物。


義博物館で観させて頂いた時には、説明・歴史を理解し
ただただ密教美術に惹きこまれた時を過ごしました。
そして観覧日記として、ピックアップしてまとめさせて頂いて
今までの「密教のなぜ」と思っていた部分が明確になりつつあります。
キーワードは、聖教そのもので
ボリュームのある特別展『醍醐寺のすべて』でした。


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