法輪堂 拝観日記

大原 勝林院までの道

 

「大原問答」の勝林院に行ってきました。
ブログにて、勝林院までの道を歩いてみようと思います。

京都大原 勝林院の天台僧 顕真が、
法然上人を招き
念仏によって極楽往生ができるか否かを論争した
「大原問答」が行われた勝林院の
八講壇と呼ばれる問答台を実際に見た後、

この道を再度辿ると、ドラマの演出のような距離であり

しかし、それは実際にあった事実であるのならば
身が震えるような緊迫感が伝わってくるように思います。

大原.jpg

 

大原には、「呂川」と「律川」があります。

●「呂川」と「律川」
大原の魚山は、仏教音楽である天台声明の発祥の地であり、
その魚山を源とする呂川と律川の名前は、
和楽の旋法に因んで名付けられました。 
調子はずれを「呂律が回らない」と言うのもこの事が語源となっています。 

下から登っていくと三千院の

三千院1.jpg

手前に「呂川」があります。

呂川.jpg

三千院を右に見ながら、さらに進み
右に「大原陵」「大原法華堂」を通り過ぎたところ
「律川」があります。

律川.jpg

道なりのポイントは、ここの場所です。
朱色の橋越し真正面には、勝林院が見えています。

この橋の手前 左側に、「鉈捨薮跡」があります。

鉈.jpg

 

「鉈捨薮跡」
1186年の大原寺勝林院での法然上人の大原問答の時に、
その弟子の熊谷直実(蓮生坊)は、
 「師の法然上人が論議にもし敗れたならば法敵を討たん。」 
との目的で袖に鉈を隠し持っておりましたが、 
上人に諭されて鉈を薮に投げ捨てたと伝えられています。 
なお、勝林院は橋を渡り50メートル先です。

忍ばせた鉈を捨てたのがこの距離であり、
法然の弟子が鉈を忍ばせていたという事が、
単なる議論・問答ではなかったということを知りました。







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