法輪堂 拝観日記

東大寺 戒壇院(拝観日記)

東大寺 法華堂のあと、戒壇院へと来ました。

日本にはじめて正しい戒律を伝えた鑑真。
聖武上皇は、光明皇太后らとともに唐から渡来した鑑真から戒を授かり、
よく年日本初の正式な受戒の場として戒壇院を建立しました。

戒壇院では、四天王が戒壇を守り続けています。
戒壇は、僧としての戒律を守ることを仏前に誓う厳粛な儀式の場です。

東大寺 戒壇院(拝観日記)1.jpg

今回、日記としてまとめる時に
「戒壇院」なのか、「戒壇堂」なのかと調べてみると

戒壇堂は、
日本初の授戒の場として、戒壇院の中に立つ堂。
当初の戒壇院にはほかにも講堂や僧坊など諸堂がありましたが
消失を繰り返し、戒壇堂と千手堂のみが江戸時代に復興されました。

調べてみて、ようやくすっきりしました。


戒壇堂に入ると、靴を脱いで少し階段を上がります。
拝観できる場所は、真ん中の四角い壇の周りをぐるりとまわって

壇の四隅には、擬宝珠高欄で区切られ
一段上に高くなっています。
戒壇の東西南北の四周を守護するのは、
須弥山の中腹で仏法を四方から護る護法神の四天王です。
どの像も、邪鬼の上に立っておられます。

向かって右手前(南東) 剣を握る「持国天」
    左手前(南西) 戟という槍をもつ「増長天」
    右後列(北東) 右手で多宝塔を捧げる「多聞天」
    左後列(北西) 筆と巻子をもつ「広目天」

多宝塔には、左に多宝仏 右に釈迦仏。
その右横 少し前に鑑真のお姿の額がありました。
多宝塔の二仏は、鑑真が来朝のとき唐から将来したと
いわれている像を模した像だそうです。

〔四天王〕
 持国天(塑像) 像高160,5cm 奈良時代
 増長天(塑像) 像高162,2cm 奈良時代
 広目天(塑像) 像高169,9cm 奈良時代
 多聞天(塑像) 像高164,5cm 奈良時代

〔多宝塔内の二仏〕 二仏は、東大寺収蔵庫に安置。
          多宝塔内には、模造の二仏(木造)
 釈迦仏(銅造) 像高 25,0cm 伝唐時代
 多宝仏(銅造) 像高 24,2cm 伝唐時代

戒壇は三段になっており、
これは大乗菩薩の三浄聚戒を表しているのだそうです。

舞台のような場所の真ん中に多宝塔。
四隅の四天王が立っておられる場所とはかなりスペースがあり
空間が大きく感じました。
実際に拝観する場所も少し階段を上がった場所ということもあり
空気が高いところに上がった森林浴に似た感覚を感じました。

第一印象は、法華堂の300cmの四天王に
圧倒された後でしたのでとても小さい像に思えました。
それは、大きさだけのことでそう感じたのではなく
引き締まった御身体、そしてお顔の表情が
厳しく大変リアルだったからだと思います。

持国天の剣の刃は鋭くよく切れそうで
今にも切りかかられそうです。
目を見開き口を曲げておられる表情から
目が離せなくなりそうです。

持ちての長い戟の高い場所で持ち
口を大きくあけておられる増長天と
宝塔を持つ右手を上にあげておられる多聞天の前は、
目を伏せて下を向いて、早く通り向けたいように思いました。

一番印象的なのは、広目天。
下に下げておられる右手には筆が握られています。
この筆先にとても惹きつけられました。
筆の向きや、筆先の鋭さからでしょうか、
何かをとても物語っているように思えるのです。
そして遠くを見ておられるお顔の表情も
ずっと眺めていました。

いつもと違う神聖な空間の空気にひたり戒壇堂を後にする際、
戒壇院の方たちが明るく挨拶してくださったのも
大変心に残っています。

--------------------------------------------------
【参考リンク】
  華厳宗大本山 東大寺 公式サイト ≫
--------------------------------------------------






このホームページに記載されている記事・写真・図表などの無断複製、無断転載を禁じます。